August 19, 2011

祖父の記憶。

前回、実家に帰省した時のこと。

自宅にタクシーを呼んで空港に向ったんですが、初老のタクシーの運転手さんが、

「○○××さんのご家族ですよ・・・ね?」

と、おっしゃる。○○××は私の父方の祖父の名前だ。電話でタクシーを呼んだとき姓は名乗っているので、それで気になって声をかけたらしい。

「あ、そうです。。」

その祖父は、もうすぐ40になろうという私が幼稚園の年長組だったときに他界している。35年くらい昔の話だ。

「あー、いやー、やっぱりそうでしたか。昔××さんは△△の仕事をしてらしたでしょう?あのとき私らはよく●●に飯に連れて行ってもらってですねぇ・・・。」

当時の仕事のこと、同僚のこと、どんな話をしたか、それからうちの祖父が仕事を変わった事、運転しながら懐かしそうに話をされる。タクシーには私の母も一緒に乗っていたんだけど、母は部分的には運転手さんの話に覚えがあるらしい。

私には祖父の思い出はほとんどない。顔も覚えていない。思い出せるのは、今、私が実家にいるときに使っている2階の四畳半の部屋でいつも寝ていた姿、寝たばこをしていた姿、そしてなぜか祖父が乗っていた白い日産サニーの後部の映像。その後は病院で臨終の際に酸素マスクをつけた姿を病室の外からちょっと覗いたこと、葬式になっても「死」の意味が実感できず親戚のお兄ちゃんとケタケタ遊んでいた事、斎場ではなく自宅で葬式をして父が見慣れない黒い礼服で挨拶していた事、それくらいなのです。

不思議な気分でした。もう他界して35年も経った人なんだけど、家族でもない、今はもう何の接点もなくなってしまった人の記憶の中に生きていたんだと。孫の私も知らない姿がこの人の記憶の中に生きているのかと。

あの人はどんな人生を送ったのだろうか。戦争には行ったのだろうか。あの戦争をどうやって乗り切ったのだろうか。

そしてまた30年も経てば、きっとそのタクシー運転手も他界し、私もいずれ死を迎え、祖父の記憶はこの世から完全に消えてしまうのか。

終戦記念日は過ぎてしまいましたが、今年の8月15日にはそんなことを思い出していました。

次に帰省した時には、父に祖父のことを少し聞いてみよう。なんかだか変に照れ臭いけど。

August 14, 2011

ナミビア。



ナミビアに行ってました。純粋に観光で。
南アフリカの北西、大西洋に面した国です。ドイツ領南西アフリカから南アフリカによる統治を経て、1990年に独立した若い国です。国名の由来は国土の相当部分を占めるナミブ沙漠から。そしてその国土の面積は日本の2倍以上あるのに、人口は200万人強しかいないという人口密度の低さも興味を惹きます。

ドイツ領だった時代にも南アフリカが飛び地として統治していたWalvis Bayの空港から、大西洋に面したこじんまりとした町Swakopmundを経て2時間ほど北上すると、Cape Crossに到着します。なんとかっていうポルトガル人だかが最初に到着したところらしいのですが、そんな話も圧倒してしまうのはアザラシのコロニー。




死んでるように見えますが、生きてます。


さらに北上すると、Skelton Coast(骸骨海岸)と呼ばれる海岸線のドライブになります。船の座礁が多いことで有名な海岸で、途中には座礁したばかりの船もありましたが、時間が経つとこんな風に。


骸骨海岸、っていう名前も分かる。骨が落ちてました。


で、レンタカーがドロドロ。


海岸を離れ内陸側に進み、ナミブ沙漠観光の拠点の宿に。宿からの景色。


そして、Namib-Naukluft国立公園の入口から近いところにある砂丘、「Dune 45」。入口から45kmのところにあるからそう呼ばれているそうです。風が強い日でしたけど、みんな登ってますねぇ。


途中、ダチョウやガゼル、オリックスもいる。写真はオリックス。


そして、アプリコット色の砂丘。






さらに歩いて行くと、300年前に干上がったといわれている湖の跡。Deadvlei。


自然の景観というよりは、なんかのデザインのような景色です。


枯れ木は湖よりもさらに古く、600年〜900年前のものと考えられているそうです。


この地の砂は鉄分を始めミネラルを多く含むせいで重く、砂丘の場所があまり変わらないそうです。

こっちの湖にはまだ水がある。


砂丘に向う途中の風景。まったくもって何もないっていうか、わけが分からない感じ。


植物の生えているところもある。これは通称「ostrich cabbage」。「ダチョウのキャベツ」。


ヘリコプターで行けるのは、沙漠のほんの入口のところまで。それでも壮大な景観です。






地表見えるぶつぶつの模様は「fairy circle(妖精の輪)」。そこだけ草が生えない。地中に草の生育を阻むシロアリがいるとも言われているけど、その「妖精の輪」の土を取って来て虫を除いてから鉢植えの土にしても植物が枯れるそうで、本当のところはよく分からないとガイドさんは言ってました。




宿泊中の宿を上空から。


草原に沈む夕日。




ナミビア。植民地や信託統治領としての歴史や、少数民族の歴史、現在の政治経済など興味深い話もいろいろあるんですが、とりあえずはこの圧倒的な景観。無粋なことは今は語りますまい。

広い国なので私たちが見たのはほんの一部だし、写真をいくらアップしてもやっぱり実際に見ていただかないとこの壮大さは分かりづらいですよ。日本からはバンコク、シンガポール、香港、ドバイなどを経由してまず南アフリカに入ってからさらに飛行機で2時間ほど。さらに車で400km〜500kmは走らないとナミブ沙漠の入口のSossusvleiまで到達しないので簡単じゃないですが、行ってみる価値はあると思いますよ。

おまけ。
記念撮影するため、道路脇に打ってあった杭の上にカメラを載せようとがんばっている私。

July 31, 2011

植民地主義の清算。

現実はもっと複雑でこのブログで書き切れるものでもなく、マジメに書いたら論文か本にしなきゃいけないような内容なんですけど、手短に要点だけメモっておこうと思います。アフリカに住む白人の話。特に南部アフリカの話です。

*   *   *

南部アフリカに住む白人の住民が言う。「先祖代々、300年もこの地に住んでいるのだから、白人の現地人として認められてしかるべきだ。」一方の黒人住民はこう言う。「300年住んでいるといっても、植民地主義者の末裔には変わりない。我らの土地から搾取したものを返せ。」

そして平行線のまま議論が続く。

白人がアフリカ大陸に進出し始めたのは15世紀。当初は所有権のはっきりしない土地に入植し、開拓していったのだと思います。そしてやがて農業や鉱業の果実を得ることになりました。労働力として黒人を安く使い、富を蓄えていったのです。黒人側からすれば、搾取されたとも見えるでしょう。

他方、白人の側からすれば、なんら活用もされてない荒れ地に綿々と投資を続け、勤勉に働き続けた成果だと主張したいでしょう。また、白人が入植したおかげで教育や衛生が持ち込まれ、黒人の死亡率が劇的に低下し黒人の人口爆発がおきたのも事実であれば、それまで新石器時代と大差ない生活をしていた黒人に豊かさのお裾分けがあったのも事実です。

極々単純に考えれば、この黒人と白人の係争を処理する方法として2つのパターンが考えられます。

ひとつは、白人側が黒人側に土地を返す方法。ただし、入植した白人に対して、彼らが投資した物資や労働力に対する補償が支払われる必要はあるでしょう。そしてもうひとつはその逆で、白人側が土地所有を続けることを認めるかわりに、白人側が黒人側に土地使用、現地資源の利用の対価を支払うやり方。原理的にはこの2つが解決策としてありうると考えられます。

ところが、現実はそうは簡単にいきません。まず、白人側にも黒人側にも合意に達した場合に支払うべき補償や対価を融通できるだけの資力がない場合が多いです。「そうは言っても払えない」ということですよ。あるいは、金の問題だけでなく人材の問題もある。たとえば白人が黒人にその事業を譲るとして、黒人にそのノウハウがあるのか。ノウハウのある人はどこにいるのか。仮にいるとして、どうやって事業を引き継ぐ黒人を選ぶのか。そこには利権が生じ、腐敗の入り込む隙がいくらでもあります。

また、植民地主義の精算とはいえ、すでに21世紀のグローバル経済の時代です。ただでさえ貧窮している国が多いアフリカにおいて、白人と黒人の間のうかつな取引によって動いている経済を阻害してしまっては問題です。現に生きている経済を一度止めてから清算する、なんてことはできないのです。経済に悪影響を与えないようにしないと、結局みんなで貧しくなってしまう危険がある。

また、個別にみれば千差万別な事情があります。たとえば、最初にアフリカに入植した白人は土地を勝手に収奪したのかもしれませんが、その後に土地の売買契約や賃貸借契約を結んで入植した人たちは善意の第三者であって、彼らに植民地政策の清算の負担を強いるのはおかしい、という見方もできます。

1980年、南部アフリカのジンバブエ共和国の独立に際しては、宗主国イギリスとの間で長い協議が行われ、原則的にはジンバブエ(当時の南ローデシア)に住む白人イギリス人が黒人にその土地を渡す場合にはイギリス本国が白人農場主に補償を行うという合意が交わされています。植民地政策を推進した政府が責任を取る、ということでしょう。

ところが、経済政策に暗いジンバブエの黒人政権は、ムガベ大統領につらなる元軍人や青年たちの歓心を得るため、こともあろうか事実上彼らに白人所有の農場を自由に強奪すること容認し、黒人たちが白人農場主の家を焼き討ちするところにまで至ってしまいました。もちろん、農地を強奪したところで彼らに農場経営のノウハウや資力がある訳もでなく、機材や残されていた収穫物をぶんどった後は放置された農地も多くて、それまでは農場や関連産業での仕事があった黒人たちまで仕事を失い、経済破綻へと一直線に進んでしまったのです。もちろんイギリスはそんな無茶苦茶な「土地改革」に補償を支払うはずもありません。結局、混乱の中で巨富をかすめ取ったごく一部の特権階級を除いては、みんな貧しくなってしまったというのが今のジンバブエです。

ジンバブエよりもはるかに経済規模の大きい南アフリカはこのジンバブエのバカさ加減を反面教師としているのでしょう。また、南アフリカは、多国籍企業も進出していれば、植民地主義者に抑圧されたという意味では黒人と大差ないインド系の住民や企業も多いはずです。植民地主義を清算する、といったって、だれが「植民者」でだれが「現地人」なのか、ということさえ定義が難しい状況でしょう。それでも、やはり経済活動への黒人の進出は支援すべきというコンセンサスはあり、黒人の経済的権利拡大政策(Black Economic Empowerment: BEE)が進められています。

他方、ジンバブエは農業を食い尽くしてしまったので、今度は製造業や鉱業をターゲットにして外資系企業に所有権の51%を黒人に譲渡することを義務付ける法律、いわゆる「現地化法」を制定してしまいました。白人農場主の土地収奪で甘い汁を吸った政治家、特権階級の人たちが、「夢をもう一度」とばかりに画策している面もあるのですが、さすがにこの無謀な政策に反対する勢力もあり、本格施行がずるずる延びているところです。

*   *   *

アフリカとヨーロッパの長い歴史的関わりの中でおきた植民地支配。南部アフリカにおけるヨーロッパ系住民の生活を見ていると、植民地支配は歴史の教科書の中の出来事として終わった事ではないことを実感しますよ。現代の南部アフリカは当然ながら歴史の延長線上あって、今日の経済政策も歴史の経緯を踏まえた上で立案していく必要があり、植民地支配は今もその残滓で頭を悩ませる要因になっているんですよね。

(この記事は主に南部アフリカ、東アフリカを念頭に書いています。西アフリカになると、植民地時代からの白人住民が非常に少ない上、奴隷貿易の話が避けて通れないことになって、様相が違ってきます。また、北アフリカはアラブ世界、地中海文化圏になってきますよね。)

July 04, 2011

デモに参加する?

このところずっと海外に住んでいるので、参加しようと思っても参加できないんだけど、たぶん日本にいても参加しないし、実際日本にいた時にも参加したことがないです。というのは「デモ」の話。

参加しない理由はいろいろある。デモの種類にもよるけど、なんかどっかの労組か政党が主導、動員している風で、そういうのに縁が薄いっていうこともあるし、デモしている人たちの風体がどうも異質で、たとえ主張に一理あるなと思っても、「あの人たちと一緒にはされたくない」って気分のときもある。

しかしまあ、デモに参加する気にならない一番大きな理由は、世の中そんなに明確に「反対」って言えることってあんまりないってことですよ。原発だって原発依存は下げていく必要があると思うけど、今「反対」って叫んでもそれって「今すぐ止めろ」に聞こえるし、そういう「反対」には共感できないし。

「賛成」と「反対」の間に無数の考えがあって、現実的に取りうる策も「賛成」と「反対」の間にあることが多くて、反対反対って叫んでも何の解決にならないこと多いし。問題は問題で、だからどうするのか、と考えなくちゃいけないのに、反対反対って叫ぶばっかりでどうするの?って思ってしまう。

だから私は、デモに参加しようと思ったことがないのです。で、もし私がデモに参加していたら、それは余程の事態なので気をつけた方がいいですよ。

July 03, 2011

クリケット観戦記。


言っておきますけど、私はクリケットのルールはまったく知りません。あの、バッターのところにある3本の棒はなに?って聞いてるレベルです。それが、クリケット・コカコーラ杯のオーストラリア対ジンバブエ戦が日曜だから見においでって誘われて、成り行き上、断れなくなって見に行ってきました。

試合は9時からという話で、クリケットって試合が長いという話だけは知っていたので、10時半頃にスタジアムに。

まあ、試合は始まってるんですけど、人は、まだまばら。これから三々五々集まって来るみたい。会場で待ち合わせた知人がルールを解説してくれるんですけど、やっぱりそんなすぐにはよく分からない。で、ビール飲み始める。

昼近くになると、だんだん人が増えてきて、みんなで持ち寄ったお弁当食べたり、よそんちの子どもと芝生で遊んだり。知っている人もぱらぱらとやってくる。

試合は続行中。なんか、メリハリのない単調な運びなんだけど、ときどき会場が「わー」って盛り上がる。よく分かんないけど。10時半頃から見ててて、初めて攻守が交代したのが12時過ぎ。そろそろ飽きて帰る人も出て来るんだけど、その頃から来る人もいる。

午後2時過ぎ。快晴の日の芝生の上。おなかもいっぱいになってビールも飲んで気持ちよくなってきて、いよいよクリケットの試合内容なんかよくわからなくなって来て、「試合はどのくらい進んでるの?」と聞くと、まだ中盤前だという。もう帰る人もあり、これから来ている人もあり。私ももう、今日はこれで十分だなーと思って、適当なところでみなさんにお別れを言って帰ってきました。

*   *   *

クリケットの試合が好きで見に来ている人ももちろんいるんだけど、コカコーラ杯くらいの試合だと、クリケット観戦っていうのはクリケットを口実にしたピクニックですねぇ。クリケットがみんなが集まる根拠になっているんですけど、真剣に試合に見入っている人はあんまりいない。

あるいはあれは、一種の社交のフォーマット。会食、レセプション、ゴルフ、などに続くものだなと思いましたよ。で、会食やレセプションは始まる時間がちゃんと決まっていて、せいぜい2、3時間で終わるのに対し、クリケット観戦はもっとカジュアルで一日中だらだらやってるという形式の差があるんだけど、その違いを活かした違うフォーマットの社交場になってるなと。なんとなく人が出入りし、普段とは違う開放的なところで友人知人、仕事上の関係者なんかと挨拶を交わし、雑談して関係を確認する。そんな場になってました。

クリケットもワールドカップとかになれば真剣な試合としてみんな観戦するんででしょうけど、コカコーラ杯くらいだと「スポーツ観戦」という意味合いが薄いですよ。サッカーや野球を観戦するのとは違う。縁日や野外コンサートに近いかな。

ということで、クリケットのルールは結局分からずじまいだったんですけど、観戦の仕方はだけはなんとなく学んできましたとさ。

June 19, 2011

政府開発援助=人道支援、ではないよ。

「震災後のこの大変な時に、海外に援助なんかしている場合か。」というご意見はごもっともなんですけど、さりとてODA(政府開発援助)はゼロにできるものではないのです。軍事力を海外展開しないのが国是の日本にとって、ODAは重要な外交ツールなんですよね。

「援助」と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには「国際社会の安定」は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして「国際社会の安定」にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。

あるいはまた、ODAは「経済開発・市場の開拓」の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。・・・と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。

ODAの生々しいところでは、日本の「発言力の確保」「対外イメージの向上」、さらに「外国政府の懐柔・支持獲得」という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しい時に手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。

アフリカ等の特に脆弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。似たような話では、IMFや世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように。」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、脆弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。

日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。

*   *   *

東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ「援助」と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばら撒いている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。

本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ。」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。「0」か「100」かではない冷静な議論が必要だと思うのです。

June 05, 2011

アフリカ貧困国の特権階級。


今、30代後半以上の人たちのアフリカに対するイメージって、1980年代のエチオピア飢饉のイメージからあまり変わってないんじゃないかと思います。乾いた大地にやせ細った黒い人々が座り込んでいる姿が延々続く景色。2000年代に入っても、スーダン・ダルフールで似たような状況が再現されたし、相変わらず「黒人の」「暑く」「貧しい」大陸というイメージは変わっていないんじゃないかなと。

アフリカには50以上の国があり、一口に「アフリカは」なんて括って話すことは難しいです。北アフリカはアフリカといっても文化的には中東・アラブ圏だし、モーリシャスとかセイシェルとか、一応アフリカだけど島国でほとんど先進国並みという国もある。南アフリカは気候的には地中海的だし、経済は中進国。エチオピアにしても、首都アジスアベバはそれなりに開発が進んだ住みやすい都市だと聞いています(標高高いので空気が若干薄いらしいけど。)。

そんな感じなので、アフリカの印象をひとまとめに語ることはできないですけど、でも、それでも、やはり開発の遅れた、貧しい、破綻した国家が多いのは事実。特にサブサハラ、ブラックアフリカと呼ばれるサハラ沙漠以南のアフリカや、西アフリカにはその傾向が顕著です。

ところが、たしかに貧しいんですけれど、共通しているのはたいていどこの国にも特権階級がいて、破格に豪勢な生活をしているんですよね。豪邸に住み、高級車を何台も所有し、使用人を大勢使って生活している人たちがいる。で、そういう人たちが陰に陽に政治に影響力を行使し、またある時は自身が政治家であったりするんです。

粗末な社会インフラの中で非常に貧しい生活を強いられている多くの人々とほんの一握りの特権階級、というのは多くのアフリカの貧困国に共通した構造であるように見えます。そしてこの特権階級の人々は、自国の発展にはあまり興味を持ちません。自国よりも、自分の一族の発展が第一です。そして、対外的には「自国の発展のため」という説明をしながら、実際には「自分の一族のため」の支援を得ようとします。彼らの視界の中に、自国の国民の姿はほとんど存在しないような気さえしますよ。

「特権階級と多くの貧しい国民」という構造は、「封建領主と領民」の関係に似ているところがありますが、ひとつ違うところがあります。封建領主は領民から年貢や人頭税を取り立て、労役を課したのですが、アフリカの特権階級は国民から直接は搾取しません。彼らの収益源は、国営・公営企業の収益や鉱山開発等のロイヤリティ収入、独占事業や許認可事業による収入、あるいは関税収入や海外からの開発援助に関するものが多く、本来ならば国民が手にし得たはず富をかすめているので間接的には搾取していることには違いないのですが、国民の財布から直接抜き取るようにはなってないのです。現に、このような貧しいアフリカ諸国の国民負担率((租税負担+社会保障負担)/国民所得)は10%〜20%程度で、多くの先進国の40%〜60%という水準を大きく下回ります。この国民負担率の低さは、特権階級(≒為政者)対しては、国民の負担によって国家が運営されているという意識を希薄にさせるように働くと考えられます。納税者に対する説明責任というものをあまり気にする必要がないので、国民のため、国民の付託に応えるための政策を打つという意識も希薄になり、「視界の中に国民の姿がほとんど存在しない」という状況になるのも当然という構造ですよ。

だから、そういう特権階級の人たちは、社会の民主化が進み経済が自由化されると自分たちの特権・地位が危ないので、たとえそれが自国の発展を妨げ国民が貧窮することになる政策であっても、それを支持することさえ、ままあります。表向きは経済発展、開発が重要と主張し、自分が利権を持つ企業が利益を拡大できる場合は積極的に推進するのですが、自身の利益に反することは、たとえ経済発展に必須な政策であっても、「国家主権の問題」というようなもっともらしい理由をつけて、厚顔無恥にも反対するのです。

日本だったら自民党に聞いても共産党に聞いても「日本を発展させたい」という根本では一致すると思いますけど、こういう貧しいアフリカの国には、無自覚的にしても本音のところで「今のままでいい、発展させない方がいい」と思っている特権階級、支配階級がいる国が多いんです。

汚職とか腐敗とかいうと贈収賄を思い浮かべますが、贈収賄くらいならかわいいもので、国のシステム全体が搾取の構造になっている「腐敗」なんですよね。アフリカが発展しないことを書いた本や論文はいくらでもありますし、私がここで書いているようなこともまあ簡単に言ってしまえば「利権の構造」ということで特に目新しいことではないんでしょうけど、アフリカの途上国に3年以上住んでみて、そういう構造が実際に存在していることに気付いて、残念な気持ちになるのです。

May 29, 2011

ロバを売りに行く親子。

ずーっと昔、子どものころに読んだ絵本に載っていた童話「ロバを売りに行く親子」のお話を、最近時々思い出すんです。お話のあらすじはこんな感じ。

*   *   *

ろばを飼っていた父親と息子が、そのろばを売りに行くため、市場へ出かけた。

2人でろばを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくろばを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいない事だ」。なるほどと思い、父親は息子をろばに乗せる。

しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がろばにまたがり、息子が引いて歩いた。

また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにろばに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でろばに乗って行く。

するとまた、「2人も乗るなんて、重くてろばがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。

しかし、不自然な姿勢を嫌がったろばが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたろばは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。

http://bit.ly/jVqT7h(Wikipedia:ろばを売りに行く親子)

*   *   *

この童話を読んだ当時はその寓意なんか全然分かってなかったんですけど、今になって読むととても納得するところがありません?

イソップがこのお話を作った紀元前の時代にはもちろんテレビもインターネットもなかったわけで、ロバを売りに行く親子に何かと難癖つけるのは彼らを見かけた道端の人たちだけだったんでしょうが、今や「ソーシャル」の時代。実際には道端にいない大勢の人にも、ロバを売りに行く親子の様子が瞬時に伝わってしまうのです。そして、特にちょっとでも世に知られた人が何か行動を起こすと、twitterなんかでもう、いろんなことを言われてしまうわけです。ありとあらゆることを言われて、私だったらびびってロバといっしょに道路の真ん中で固まってしまいそうですよ。

そしてもうひとつ思い出すのは小泉元首相が発した「鈍感力」という言葉。たしかに注目を浴びる政治家ともなれば、ロバの運び方についていちいちみんなの意見を気にしてはいられない。どうでもいいからロバを運ばなくてはならないわけで、「鈍感力」というのはまた、膝を打つアイデアですよね。

人の意見をまったく聞かないのは褒められたことじゃない。でも、この「ソーシャル」の時代、イソップの頃とは比べものにならない数の人がロバを売りに行く親子の行動を論評し、正直、揚げ足取りのような意見も大量にネットに流されていくわけです。そこからどんな有用な情報を拾い、どう判断し、ロバといっしょに道の真ん中で固まらずに先に進んで行くか。心ない批判、くだらない揚げ足取りに心折れることがない鈍感さ、図太さとともに、そんなリテラシーがないと身動きさえ取れない時代になったなぁと、あの絵本に載っていた幸薄そうな親子の顔を思い出しながら考えるのです。

May 15, 2011

国際的たらい回し。


ジンバブエの首都ハラレに滞在中にたまたま取った電話で、見ず知らずの現地の人から「日本から中古車を輸入しようとして代金を振り込んだが、相手が音信不通になった。」との相談を受ける。こっちが日本人だというのをどっかで知って電話をかけてきたんだと思う。

「はぁ、またですか。」

いや、電話してきた人にとっては初めてかもしれないけど、当方にとっては「またか。」です。アフリカにいると、そんなに珍しいことじゃないんです。ときどき聞く話。

「笑い事じゃないんだ!」

そりゃそうでしょう。被害額はたいてい数千~数万ドル。インターネットで日本の中古車輸出業者のページを見て車種を選び、メールと電話&ファックスで契約をしたというのがほとんど。 それで代金を振り込んだら相手が行方不明になる。

ためしにその中古車取扱業者のページを見てみると、見かけはちゃんとしたページには見えるんだけど、肝心の会社概要がなかったり、簡潔過ぎたりするんです。載っている電話番号の市外局番から「たぶん神奈川の業者でしょうね。」と分かる程度だったり。で、取り扱ってる中古車は確かにちょっと(かなり)お買い得な価格設定になってる。 さらに、英語はちゃんとしてるのに日本語が妙にぎこちなかったりで、これってロシア人とかパキスタン人とかがやってる中古車ブローカーじゃないの?って臭いがプンプンする。

昔、この手の問題の場合はまずどう対応すべきなのか警視庁に電話で聞いてみたことがあります。その警察の人曰く、まず現地の警察に被害届を出し、現地の警察が国際警察機構を通じて日本の警察に捜査依頼を出す、というのが標準的な手続きですと。なるほど。

しかしねえ、ジンバブエのような途上国の場合、どこまで現地の警察に事務処理能力があるかが多いに疑問です。しかも、被害者がジンバブエ国籍ではなくて、コンゴ国籍とかナイジェリア国籍だったりするし、ジンバブエは内陸国なので、中古車の配送先が南アフリカのダーバン港までとか、モザンビークのベイラ港までの契約になってる場合も多い。そこまでは自分で引き取りに行くつもりだったんでしょうけど、そしたら「現地」ってどこよ?って感じです。

要は、ジンバブエに住んでいるコンゴ人が、日本にいるパキスタン人の中古車ブローカーから中古車買ってモザンビークまで車を輸入しようとして詐欺に遭った。

あーもう、くらくらするね。この一文で被害回復の望みが薄いことは明々白々、残念ながら。国際的にたらい回しにされるのは目に見えてる。

「まずはジンバブエの警察に相談したらいいんじゃないですか?」

私もそう答えたしね。

*   *   *

日本中古車輸出業協同組合という業界団体があって、そこに加盟している業者だったらまだいい。音信不通になったらその団体が確認してくれるみたいだし、被害の回収などもやってくれるらしい。場合によっては代理弁済もやるらしい。でも、相談してくる人が代金を振り込んだ業者はまず、この団体には加盟してないです。

といって、数千ドル~数万ドルの被害だと、日本に渡航して被害を回復するのも費用がかかりすぎて意味がない。ジンバブエから日本までだと、渡航・滞在費が最低でも数千ドルになっちゃうからね。

この手の詐欺で泣き寝入りしている人、少なくないんじゃないかと思いますよ。 まあ、自己責任といえばそうなんですが。

May 14, 2011

「日本は終わった」の?

日本からのニュースが暗い話、気の滅入る話ばっかりなんですよね。地震、津波、原発事故が起きたからそれはまあ仕方ないんですけど、それに続く話もろくなニュースがないように見えます。私のtwitterのTLが偏ってるのかもしれないけど、それを抜きにしても、今後を嘆く声ばかりが聞こえてくる。そして、それがいちいち筋は通っている。もう、「日本は終わった」という勢いです。

たしかに厳しい。しかも、原子力災害補償スキームひとつにしてもマトモなものを設計できない政治。先行きを考えると重苦しいのはたしかにそう。

・・・なんだけど、でも、ふと思い出す。そこまでダメダメなんだっけ? 世界トップレベルの平均寿命、貧しくなったとはいえまだ世界的には豊かな部類に入る庶民の暮らし、類を見ないほど洗練されたサービス、それなりにちゃんとした教育を受けた1億人を超える人口。高齢化や震災で斜陽は迎えるかもしれないけど、だからといって「終わった」わけじゃないよね? 現に日本に帰ると(東京以西しか滞在してませんが)、「あれ?」っていうくらい生活は普通だし、楽しいし、美味しいし、刺激的だし、友人たちもそれなりにいきいき仕事しているしさ。

日本から遠く離れた海外に在住したりなんかしていると、日本に関する情報はごくわずかです。日本人として積極的に日本のニュースを日本語で取りにいっていればそれなりの情報は入りますが、そうじゃない一般の人々の日本に関する知識はほんと、限られています。そんな状況の中で、「ダメだダメだダメだ」と発信してばかりいたら、ホントに海外で「日本は終わった」という単純なメッセージが固定してしまうんじゃないかと恐ろしくなるんですよね。

アフリカなんかにいると、原発事故こそないけれど、もっと「終わってる」国はいくらでもあります。「破綻国家」とか酷いラベルを貼られた国も多い。しかしそんな国でも(いや、そういう国だから、かもしれませんが)、人々は日本人には奇異に映るほどプライドが高いし、「オレたちのどこが悪いんだ?批判するヤツがおかしい。」くらいの厚かましさを持っていますよ。

そんな厚顔を日本人が真似するべきでもないし、しようと思ってもできないけど、でも、あんまり自己卑下ばっかりして、責めて、批判して、ネガティブなことばっかり発信し続けるのは不健康だなぁと思うのです。日本は元気だ、大丈夫だと空騒ぎするわけにもいかないけど、悲観ばっかりしてても何もいいことはないし、「なんとかしよう」「なんとかなるさ」っていうメッセージがもっと発信されるといいなって思うんですよ。

May 07, 2011

「それは、なんのため?」

「コーヒーを出して。」と、上司が言う。

Aは「はい。」と答えて引っ込み、しばらくして戻って来て、「コーヒーがありませんでしたので出せません。どうしましょうか?」と訊く。

Bは「はい。」と答えて引っ込み、コーヒーがないことに気付く。で、ここで考える。上司が「コーヒーを出して。」と言ったのはなんのため?客人をあたたかい飲み物でもてなすためだよね。だったら、コーヒーはなくても、紅茶でも日本茶でも、とりあえずはいいよね。「あいにくコーヒーは切らしてますが、日本茶をお持ちしました。」

*   *   *

Aは、公務員の仕事のイメージ。

Bは、コンサルタントの仕事のイメージ。

「それは、なんのため?」コトの本質を問い、解決策を提案する。かっこよく言えば「ソリューションの提示」なんてことになるのかな。

コンサルタントじゃなくても、「それは、なんのため?」あるいは「それは、なぜ?」と、日々の出来事を、たとえそれが当たり前のことのように見えても、立ち止まって問うてみることが大切なんだと思うよ。そこから、新しい発見がある。全体像の理解が進む。

*   *   *

上司が客人をあたたかい飲み物でもてなすのは、なんのため?

ー>客人とよい関係を築くため。(客人とよい関係を築くためには、どうすればいい?=なぜ、客人とよい関係が築けないの?)

客人とよい関係を築くのは、なんのため?

ー>商談をうまく進めるため。(商談をうまく進めるためには、どうすればいい?=なぜ、商談がうまく進まないの?)

商談をうまく進めるのは、なんのため?

ー>売上を伸ばすため。(売上を伸ばすためには、どうすればいい?=なぜ、売上が伸びていないの?)

売上を伸ばすのは、なんのため?

ー>給料を上げるため。(給料を上げるには、どうすればいい?=なぜ、給料が上がらないの?)

給料を上げるのは、なんのため?

ー>豊かな生活をおくるため。(豊かな生活をおくるには、どうすればいい?=なぜ、豊かな生活が送れないの?)

・・・

こういうのって、「システム思考」とか呼ぶらしいけど、要は「それは、なんのため?」って問うてみるのは有意義だよ、って話です。

May 02, 2011

やっぱり一票の格差の問題に行き着く。


波照間島に行ったんですけどね。お天気にも恵まれて、日本最南端の有人島を満喫してきました。白い砂浜、そこから続く輝くような青い海。その先は足が着く深さのところからすでにもう珊瑚礁。ゆるーい空気が、使い古された言葉だけど「癒し」になります。

というような波照間島観光の見所は他にも紹介されているサイトがたくさんあると思うのでそちらに譲るとして、私が気になったのは、やはり離島の暮らしは公共事業に頼らざるを得ないという現実を見たこと、なんですよね。

その畑から上がる収益ではきっと回収できない費用がかかる圃場整備や利水事業。観光客を乗せた車が日に何台か通るためだけなのにきっちり舗装された道路。新しいところでは地デジ対策。

公共事業による利益誘導だの、公共事業に頼る過疎地の経済だのっていう話は自民党政権時代、それも小泉政権時代よりもっと前に盛んだった議論でいまやもう過去の政策課題のように見られているんでしょうが、とにもかくにも公共事業がないと島の経済は成り立たないんだろうなーっていうのは、ほんの短い島への滞在でも感じられましたよ。

日本経済が停滞期に入ってはや20年。「俺らの生活をどうしてくれるんだ?」という声が地方からだけでなく都市部でも噴出するようになり、コストをかけて村の暮らしを維持する余力を失いつつある中、今後はどうしていくんだろう?って、背筋に寒いものを感じたのは事実。

いや、波照間島はそれでもまだよいのです。すばらしい観光資源があるし、移住したいと思わせるだけの魅力もある。現に、島に居着いている本土の人にもお目にかかったし。なんとかなると思う。

しかし、どんどん増えているという「限界集落」って今後どうするんだろう。波照間のような際立った特色もなく、高齢者ばかりになった集落が万単位であるらしいけど、そのすべてで生活基盤を維持させるためのコストは負担できないよ、この経済停滞期に。

「住み慣れた土地を離れたくない」という主張は心情的には分かる。でも、希望を全部は聞いていられないのも確か。どこかで妥協が必要で、その妥協点を見出すのが政治の仕事なんでしょうけどねぇ。

*   *   *

・・・そう考えると、私の疑問は一票の格差の問題に行き着く。今の制度では、往々にして限界集落の人たちの意見がより多く聞き入れられることになってます。衆院で2倍、参院で5倍の一票の格差ってそういうこと。限界集落の今後を議論するのに、「政府が責任をもって維持するべきだ」という人が多いと思われる勢力の意見を2倍、5倍の大きさで聞くってことだよね。それはフェアじゃないよね。

代表が集まって議論をしようと言うのに、代表の選び方がフェアじゃないんじゃぁ、仕方がない。

ということで、えらい話が飛んでしまいましたが、まず一票の格差是正が重要だと思う次第なのです。

April 11, 2011

新幹線の車窓から。

実家のある福岡と本社のある東京の間はいつも飛行機で移動しているんですけど、今回は福山で知人を訪ねる予定があり、片道を新幹線で移動しました。

新幹線の車窓に広がる、東京からずっと途切れない街並。ビル、工場、護岸工事された河川、そして、つつましくもきちんとした暮らし。

東日本の震災は未曾有の規模で、被災された方々、直接の被災はなくとも影響を受けている方々の辛苦は「分かります」などとはとても言えないレベルです。

しかし、新幹線の車窓から見えた東京以西の街は、「日本にはこれだけの街があり、これだけの人がいるんだもの。きっと大丈夫。」と思わされるに足る景色でした。なんの科学的、経済学的根拠もない私的な印象に過ぎないんですけどね。

時折視界に飛び込む満開の桜が美しかったです。桜前線はもう、東北地方まで北上したのかな?

April 01, 2011

「絶対に」安全、なんてないのさ。

「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という問いには答え難いですよ。なぜなら、確率・統計的事象に対して、「絶対に」安全ということはないですから。言い切らないのが科学的には正しい態度です。

日本で車に乗ってたら走行距離数百万キロで1件というくらいの確率で交通死亡事故に遭遇するし、こんにゃくゼリーで命を落とす人もいる。だから、車もこんにゃくゼリーも「絶対に」安全とは言い切るわけにはいかない。結局、公式には「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」というような持って回った言い方にならざるをえないし、それが科学的に正確な答え方だと思うんです。

ところがそれでは納得しない人が少なくない。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に答える側は、「判断」を示すよう迫られます。

しかしその「判断」は人によって異なるもの。あなたは安全と思うが私は安全とは思わないかもしれない。「判断」は主観的なものなのです。たとえ事故の確率が十分低くても、こんにゃくゼリーで我が子を失った親はこんにゃくゼリーを安全な食べ物とは看做さないでしょう。

さらに悩ましいのは、「安全」か「そうじゃない」かの二択でしかモノゴトを見ない人にとっては、往々にして「安全」といえばゼロリスク、100%の安全を意味していることですよ。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に「安全」と断言してしまうと、そういう二択の人たちは「事故が起きているのに『安全』とはなにごとか。虚偽だ。」と責めるのです。

といって、「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」という言い方をすれば、二択の人たちは、「不正確だ」とか、「ということは危険も残っているのだな。そんなものを認めるとはなにごとか。」とまた責める。

ゼロリスクを求めていては何もできないのです。車にも乗れないし、包丁も使えない。こんにゃくゼリーも食べられないし、それこそ外を歩いていて隕石に当たる確率だってゼロではない。「安全」か「そうじゃない」かの二択ではなくで、危険度を評価することが求められるんです。その上で判断するリテラシーが必要なんですよね。

とはいえ、昨今話題の放射線被曝の危険性については、内容が高度に専門的だし、体感的に理解できないし、自分で「判断」するようを求められても困るという人が多いだろうし、「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と言いたくなる気持ちも分からなくもない。だからこそ「その数字が何を意味するのか。」ということを丁寧に解説するコミュニケーションが必要になると思うのですが、マスコミも二択の人と一緒になっちゃって騒いでる場面も見かけてしまう。

それで人々は、不必要に怖がったり、過剰に安心したり、果ては情報隠蔽や陰謀論に振り回されたり。悩ましいですね。

*   *   *

うだうだと書きましたが、要は「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と訊かれる側にはなりたくないなぁ、というのが正直な感想で、今まさにそういう質問に晒されている人たちには同情を覚えるのです。

March 26, 2011

(無)計画停電。(ジンバブエの場合)

慰めにもならないでしょうが、世界にはこんな電力会社、(無)計画停電もある、というお話。ジンバブエ電力公社(Zimbabwe Electricity Supply Authority:通称ZESA)の件。

最初に申し上げておきますけど、ジンバブエってかつては先進国並の国だったんですよ。南アフリカと同等かむしろ上で、宗主国イギリスによって都市もインフラも整備され、農業も製造業も活発で、教育や医療も整ってた。1980年代頃までは、アフリカの「bread basket」と言われるくらい豊かな土地が広がってたんですよねぇ。それが徐々におかしくなってきて、白人敵視、欧米敵視政策をとるようになった2000年代に完全に破綻してしまったんです。そして2008年に経済が崩壊、どうしようもない国になりました。世界の鼻つまみ者です。

そんな経緯があるので、住宅は停電を前提とした設備がないのが普通。たとえばガーナとかバングラデシュのような正真正銘の途上国の場合、当然インフラも整備がままならないので、一定水準以上の生活を営む人(多くの外国人も含まれる)の住む家やアパートは最初から停電があることを前提とした設計になっているんですよね。敷地内に発電機があって、停電の時はそちらに切り替える設計になっていたりする。が、ジンバブエの場合は、元は停電なんてないちゃんとした国だったので、そういう設計になっている家は少ない。

ZESAは公営企業で無責任経営、ムガベ大統領与党の利権になってもいたので、国の政治経済が無茶苦茶になるに従って、当然のように無茶苦茶になっていきました。

まず、電力インフラの維持管理ができなかった。ジンバブエの主力の発電所はカリバ水力発電所とワンゲ石炭火力発電所なんですけど、カリバの方はジンバブエ独立前、植民地時代の1960年頃に建設されたものでそれ以降はチマチマとした場当たり的修理はやったものの、大規模な修理はできていないので、本来の発電容量の半分とかしか発電できていない。ワンゲの方も、最後に大規模に設備投資したのは1980年代。さらには、燃料の石炭は国内で産出できていたんですけど、経済破綻で鉱業も著しく停滞してしまったので、まともに稼働できていない。

結果どうなったかというと、ジンバブエ国内で必要とされる2500MWのうち、全部合わせても1000〜1500MWしか発電できないという有様に陥ったわけです。それで、隣国(モザンビーク、ナミビアなど)から電力を輸入する、という手に出たんだけど、経済が崩壊しているので支払いが滞る。巨額の債務が出来る。設備投資が出来ない。という悪循環。

経済が極度に悪くなったので、生活苦からの電線の盗難も多発。変電設備の故障も修理できず、どんどん供給能力が落ちて、停電が日常茶飯事になっていきました。

みんなが電気を使う時が逼迫するので、一般家庭では朝方と夕飯時の停電、工業地帯では昼間の停電が多いらしいです。停電しても、まあ一般家庭であれば、数時間すればまた電気戻ってくるかなぁ、夜9時過ぎたら復活するかなぁと、ある程度は予測が付くことも多いんですが、たまには一日中、地域によっては数日にわたって停電が続いたりしているみたいです。

もちろん、電気料金もまともに課金できてない。そもそも自国通貨がハイパーインフレを起こしていた時期があったので、いくら課金すべきなのかも分からなくなってしまってる。それで、自国通貨が事実上廃貨されたあとは、便宜上米ドルで、大きな家は月40ドル、集合住宅は月20ドルとか適当な集金を始めたんですけど、そんなんじゃZESAの債務が解消されるわけもなく、私の知人宅にもよく意味不明な請求が来てました。先月まで40ドルだったのに、今月は800ドル、とか。もう管理もなにも無茶苦茶になってるので、取れるところから取ろうとしているだけだと思いますよ。外国人で金回りの良さそうなところにはふっかけるだけふっかけてみる。金持ちでも、ムガベ大統領与党の有力者のところは電気料金を払っていないというウワサだし。

で、800ドルとかの請求がきたら、ZESAに交渉に行かねばならない。自分で自宅の電力消費の記録をつけて、請求が法外であると主張せねばならない。しかし、このとき、交渉がまとまらなくても、まったく払わないで帰ってくるとマズいらしいんです。ZESAが電気を止めるから。それも、物理的に配線が切られて修復に時間がかかる羽目になるので、小額でも払って来るのがコツらしい。払っていれば、電線切られることはないらしい。んで、しばらく粘り強く交渉すると、相手が折れて800ドルが100ドルになったりするんです。もう、支離滅裂。

さらにひどいことに、ZESAはムガベ大統領与党支持者の利権なので、管理職の給料が無茶苦茶に高い。公務員の給料が月200ドルとか300ドルとか、首都で6人家族が生活するには月500ドル〜1000ドルはかかるね、といってるところで、月給4000ドルから1万ドル以上をもらってるんです。しかも、そういう管理職が異常にたくさんいる。そいつらの給料は払いつつ、設備投資は資金がないのでできない、困った困ったと言い続けているんですよね。

さらにさらに、停電させる地域の割当もひどくて、大きい病院のある地区や病院が多い地区への送電を優先するのは分かるとしても、次に優先されるのがムガベ大統領公邸及び私邸のある地域、次がムガベ大統領与党支持の有力者や中央銀行総裁などの私邸がある地域、そしてZESAの本社ビル、もっとも頭に来るのが、ZESAの社員住宅も優先的に送電されている様子。

いったい、何のための電力会社やねんってつっこみたくなるよね。仕方ないので、外国人や白人市民は自宅に小型の発電機を据え付けたり、インバーター(電気のあるときに電池に充電しておいて、停電したら電池の直流から交流に変換して使う装置)を買ったりしてる。鉱業系の大きな会社の中には自前で発電所を建てたり、隣国モザンビークの電力会社と契約して国境を越えて送電してもらってるところもある。貧しい黒人居住区では、パラフィンを使うコンロ(キャンプ用みたいなの)とか、未だに薪を使ったりしてる。ガソリンスタンドで薪を売ってるときあるもんね。

幸い我が家は、停電した場合は朝6時半〜7時半、夜6時〜9時は、管理人が同一敷地内にある6世帯で共用の大型ディーゼル発電機を運転してくれるし、だいたい停電はこの時間帯に収まる。昼間は停電してても自分が家にいないしね。で、夜9時以降とか予想外の時間帯に停電した場合は、小さなインバーターがあるので、電子レンジや冷蔵庫は動かせないけど、最低限の照明は数時間はもつのでなんとかなる。加えて、電気料金を家賃込みにする契約にしているので、ZESAとの交渉は管理人がやってくれているので手間がかからないよ。その分、若干家賃割高だけどね。でも、そうでもしないと毎日電力会社や電話会社との交渉に明け暮れて仕事になんないでしょうよ。

*   *   *

世の中にはこんなひどい電力会社もあります。だから東京電力がグダグダでも許してあげてね、などと言うつもりはありませんが、まあ電力会社が相当ひどくても意外となんとかなっちゃったりするもんだよ、というくらいのことは言えそうです。

March 21, 2011

バックパッカーのきみへ。

バックパックを背負って世界一周に出かけた○○くんへ。

今はどのあたりを旅行中でしょうか?

あなたがアフリカの我が家に寄ってくれたのも、もう2週間前の話になります。旅ももう、ずいぶん長くなってきましたね。

もうすぐ地震発生から10日になります。
今回の地震については、どのくらい情報を得られていますか? 途上国を旅行中では詳しい情報を得るのは難しいとは思いますが、並の震災でないことは既にお聞き及びですよね?

地震、津波で阪神大震災を大きく上回る犠牲者が出ているだけでなく、いまだ被害の全容、犠牲者の数さえ掴めていない状況です。さらには福島第一原子力発電所が大きな被害に遭い、今も放射線被爆と戦いながらの懸命の作業が進められています。

天皇陛下がテレビでお言葉を述べられるという場面もありました。

原発事故のせいで都内も計画停電(といっても計画通りにはいっていない)が実施され、情弱な高齢者や主婦たちが不必要な食品の買い占めや東京からの避難に走り、緊迫した空気があるようです。電車の間引き運転や商店の営業時間短縮も続いています。

現在、警察、消防、海保、自衛隊が総力を挙げているほか、空母ロナルド・レーガンも三陸沖に停泊し米軍も大々的に救援活動に当たっており、100を超える国と国際機関からの援助の申し出を受けながら数々の緊急オペレーションが続いています。

震災から10日を過ぎ地震直後のショック症状は次第に収まりつつありますが、その深い傷跡の前に呆然とし、もはや10日前の日本には戻れない現実を噛み締めています。

*   *   *

日本は、2011年を、1868年、1945年と並ぶ時代の節目として記憶することになると思います。

「失われた20年」といわれ、閉塞感に苛まれながら、徐々に徐々に疲弊しながら、しかしなんとか持ち堪えてきた日本社会が、この震災を機に、不連続に、次の時代に突入していくような感覚を覚えています。高度経済成長、バブル時代、「失われた20年」、そして「震災後」。あたらしい「戦後」の始まりのような空気を感じます。

今回の震災で失われた命は数万の単位になることが確実で、失われた命はもはや取り戻すことはできません。しかし、この未曾有の震災にあってなお冷静さを保ち、震災直後から、助け合い再起に踏み出そうとする強さを見せる日本人の姿は印象深いものがあります。ひとりひとりが、自分には何ができるかを省みて、あたらしい時代にむけて歯を食いしばろうとしています。私も、日本から遠く離れたところに住んではいますが、この国難にあたり何ができるかを考えている日本人のひとりです。

*   *   *

○○くんへ。たぶん、あなたの周りにいるバックパッカーたちに中に、あなたにこれを言ってくれる人はあまりいないと思うので、メールの最後にひとこと付け加えておきます。

旅を終える決断をする勇気も必要です。

もう、だらだらしない方がよいのではないでしょうか。旅で得るものも多いでしょうが、失うものの方がが大きくなる前に、決断することも必要ではないでしょうか?

*   *   *

あなたのこれからの旅路が有意義なものになりなすよう!

March 18, 2011

風邪ひいた。

(mixiの日記からの転載)

今日は仕事を休んでいます。

って、計画停電だの電車がどうの、という理由ではないですよ。アフリカですから。

カゼひきました。いつものようにノドが腫れて熱が出て、ふらふらして仕事になんないので、休み。急ぎの仕事、外せない仕事が一段落したので気が緩んだのかもしれない。

事務所に行かないとNHKも見れないし、そもそも熱でボワッとする頭にはテレビの音もつらいので、テレビはオフ。

*   *   *

地震の件、いろいろ思うところはある。それはみんな同じだと思う。大量の情報が流れているのが分かる。日本から地球半周離れた場所にいるという自分の環境から、日本にいるみなさんと違うものを見ているかもしれない。

*   *   *

こういう緊急事態だから、批判めいたことやネガティブなことは書かない、言わないと決めたんだけど、でも、ひとつだけ。

今回の地震の情報を得るのに、新聞社のニュースサイトはほとんど役に立ちませんでしたよ。見ても仕方ない。「たいへん、たいへん!」「もっとちゃんと対応しろ!」という論調の記事ばっかりで、知りたいことが分からないんだもん。

結局、インターネットの向こうにいる、科学者や、専門家や、実際に作業に携わっている人たちの意見を見て回って総合して、何がおきているのか、どのくらい危ないのか自分で考えるしかなかった。

この、もっともメディアが必要とされる時に際して、大手メディアの情報がもっとも役に立たない、ということを悟ったさ。


「頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道」

「危機的状況の中の希望」(村上龍のNYTへの寄稿)


ああ、ノド痛い。薬のんで寝ます。

March 13, 2011

東北地方太平洋沖地震

否定的な言葉を発するのはやめよう。みんな精一杯なんだ。応援しよう。

遠くにいて祈ることしかできないけれど、落ち着いたら募金に応じよう。それしかできないから。

February 26, 2011

地方分権、地域連合、連邦国家。

究極的に国家がやるべきことは、通貨、外交、国防の3つで、残りは地方政府がやればよい、ということらしいです。要はこの3つが、国家主権そのもの、これらを地方に移管したら地方はもはや地方ではなくて国家になっちゃうから、国がやるべき、というのはそのとおりなのでしょう。

しかしもうひとつ、国か地方かという議論には、規模の問題も無視できないように思うのです。適当な規模の人口というのがあるんじゃないかと思うんですよ。

ヨーロッパはEUという枠組みを作って、通貨はかなりの加盟国がユーロの採用で統一し、外交、国防も協同的に行うよう進んできてます。昨年でしたか、「EU大統領」「EU外務大臣」に相当するポストも正式に創設されましたよね。さらに、ユーロ採用のために必要な国家財政の基準を定めたり、各種の規制も統一したりしていて、産業政策のような、通貨、外交、国防以外の分野でも一部で統一されることになっています。通商関係の紛争処理について共同の裁判機構もあって、司法機能も一部が統一されているように見えます。

これって、結局のところは、EUという規模で行う方がそれぞれの国別で行うよりも効率的だから、ということなんだろうと思いますが、要は国家の主権の一部を国家よりも上部の機構で共有する構造を作っているんだと看做せますよね。

一方で、インド、ロシア、アメリカなどは、州、自治区といった地方政府の自治権の範囲が広い。州がほとんど国のような機能を持ってる。これらの国々は国土が広くて人口も多いし、それぞれの地方には特有の事情もあることだし、住民の日々の生活に密接に関わる行政の仕事は地方政府がやったほうが効率的だろうと判断されているんだと思います。

ヨーロッパは国を積み上げてEUという地域連合を作り、アメリカは国を州に分割している。EUにおいては加盟国が「州」に近い存在になり、アメリカにおいては「州」が国に近い存在になっている。

たぶん、その辺りに「適当な規模の人口」のヒントがありそうです。

通貨、産業規制、国防、広域インフラというのはきっと、「適当な規模の人口」が大きい。逆に、公共サービス、福祉、教育なんていうのは、「適当な規模の人口」がそんなに大きくない。で、電力、利水、通商政策、司法なんかはその中間だったり、内容によって人口規模が大きい方がよかったり、そうでもなかったりするような気がします。

要は、地域連合—国—州—基礎的自治体というスペクトラムの中に、「公」が行うべきこと(通貨、外交、国防、インフラ整備、公共サービス、司法、・・・)をどう当てはめるのかというのが、地方分権の問題であり、地域統合の問題なんでしょう。

*   *   *

一言、アフリカについて。

10億の人口に54の国。アフリカ連合(AU)を筆頭に、西アフリカのECOWAS、南アフリカのSADCなど、一応形式的に地域連合は存在するんだけど、ろくに機能していない。国家主権にばかりこだわっていたり国内に内紛を抱えていたりで地域連合の協議なんかできそうもない国や、「あんな国と連携してもろくなことない」と誰もが思う問題国家ばかりですからね。

開発がなかなかすっきりと離陸しないの理由の一部は、ひとつひとつの国が小さくて非効率なのに、地域連合や連携協議を通じて効率的なガバナンスを追求することができない、ということにも求められるかもしれません。まあ、それも植民地支配の残滓と言われれば、そうかもしれませんが。

February 20, 2011

ランダム再生で音楽を聴く。

今日は算数の話。

twitterでフォローしている人が、「1曲の長さが5分の曲がライブラリに1000曲あるとして、ランダム再生で一度も再生されてない曲数が10曲以下になるまで何時間かかる?」というつぶやきを流したんですよね。

私もiPodでランダム再生で毎日音楽聴いてて、なんか同じ曲が何度も出てくるような気がするし、ぜんぜん出てこない曲もあるような気がするし、いったいホントにランダムなんだろうか、どれくらい聞いてればiPodに入ってる全曲を聴けるんだろうか、と思っていたところなので、この際マジメにこの問いを解いてみることにしたんですよ。幸い、私のiPodの中に入ってる曲も約1000曲だし。

で、せっかく解いたので、私の解法をメモっておきます。間違ってたらごめんなさい。

*   *   *

簡略化のため、まず、10曲ライブラリをランダム再生して、9曲演奏されてしまうまでに何回再生すべきか、で考えてみる。

10曲を普通にn回ランダム再生した場合のパターンの数:10^n
10曲から9曲を選んでn回ランダム再生するパターンの数:C(10,9)*9^n

で、10^n > C(10,9)*9^n になるnを求めればいい。メンドクサイので等式にして10^n = C(10,9)*9^nをnについて解く。

C(10, 9)=10なので、

(中略)

n=1/(1-log9)=21.85...

まあ、確率的には22回再生すれば9曲は出現する可能性が高い、ということになるのか。

で、これを「X曲のライブラリをランダム再生して、Y曲聴き終わるためにはn回再生する必要がある。」と一般化すると、

n=log(C(X,Y))/(logX-logY)

1000曲のライブラリで990曲聴き終わるためには、

n=log(C(1000,990))/(log1000-log990)=5365.79...

(ちなみに、C(X,Y)=X!/(Y!*(X-Y)!) )

ということで、5366回くらい再生すれば、990曲は聴けると。
1曲5分とすれば、5分×5366=約18.63日。

ちなみに、1000曲全部聴こうと思ったら、要は999曲以上聴く、と考えればよいので、

n=log(C(1000,999))/(log1000-log999)=6904.3...

5分×6904.3...=23.97...日

連続24日間くらい聴いてれば、全曲聴ける可能性が高くなるんだね。そんなもんか。

・・・って、1000曲聴きたいのならば、ランダム再生せず素直に頭から順番にシークエンス再生すれば、1曲5分ならば1000曲は5000分、約3.472日あれば全部聴けるんですけどね。

February 12, 2011

エジプト雑感。

エジプトの「革命」とイラン革命、そして日本の建国記念日はどれも2月11日ということになりました。覚えやすそうですね。

こないだ「アラブ世界での開発独裁の終わり」というエントリを書いたところですが、ついにムバラク大統領が辞任。時代の流れを変えるこれだけの大事件だし、エジプトは出張で昔ちょっと行っただけでアラブ専門家でもなんでもない私がなにかエラそうなことを言えるわけではないにしても、気付いたことは書いておこうと思います。

*   *   *

1.
「群衆」というものは、ひとりひとりの人間を足し上げたものとは違う、ひとつの生命体のように動くらしいです。「群衆」というのは、なんらかの目的をもって集まった大勢の人間のことで、新宿や渋谷の人混みは、あれは「人混み」であって「群衆」ではないと区別できると思うのですが、ひとたび何らかの目的が与えられれば「群衆」になりうるだけの人間の数だけはいる、という状態です。

(ちなみに、英語では「mob」と「crowd」という単語で区別されるんですけど、mobには暴徒というニュアンスがあるよね。)

他方、カイロのタハリール広場に集まった人々は「群衆」。目的は現政権の退陣、象徴的存在であるムバラクの辞任。分かりやすい目的を持った「群衆」です。

そして、「群衆」を鎮めるための対処方法は2つ。ひとつは、徹底的に力で潰すこと。もうひとつは「目的」を達成させること。

エジプトはこれまで、「群衆」になりそうな芽は徹底的に摘み、「群衆」化した集団は力で潰すという方法を採用してきたんですけど、今回の「革命」は潰すに潰せない規模とエネルギーを持っていた。エジプトにおいては(というか、諸外国ではよくある様態ですが)、軍が政権から一定程度独立した権威を持っていて、その軍が「群衆」を潰すという役割を否定したんですよね。積極的にムバラク政権を追い落としはしないけど、「群衆」を抑える役割も断った。思えばこの時点で、政権の命運は尽きていたのかもしれません。

となると、ムバラク大統領側にとっては、時間を稼いで「群衆」という生命体が弱るのを待つしかなかったんだと思いますが、今回生まれた「群衆」の生命力は時間が経てば弱るというほど生易しくはなかったし、力で潰す、という選択肢が塞がれた以上は、もはや遅かれ早かれ「目的」を達成させるしか「群衆」を鎮める方法はなくなっていたんですよね。

ムバラク大統領が即時退任するまでこの騒ぎは収まらない、というのはみんな気付いていたでしょう?

2.
アラブ、中東世界の大国・エジプトの政権がこういう形で崩壊した、というのは東西冷戦構造の崩壊と同じくらいインパクトのある出来事だと思うんですけどね。アメリカはこれまで、片方で民主主義の伝道師を自ら任じその布教を進める一方で、アメリカにとって都合のよい政権はたとえそれが民主主義の観点から胡散臭くてもたっぷり資金を与えて支援してきた(で、痛い目に遭ってきた)。

今回、このアメリカ外交の本音/建前の構造の象徴的な崩壊だと思うんですよ。イラクやアフガニスタンで既にアメリカは痛い目に遭っていたわけですけど、ついに、アメリカにとってそれこそ中核的利益であるイスラエルの存在と密接に関係するところで、その二枚舌外交が使えなくなった。

新しい秩序ができて落ち着くまでしばらくはゴタゴタすると思う。ムバラクがいなくなったからとって、急にエジプト市民の生活がよくなるわけでもないし、革命後のユーフォリアが冷めた後にはまた一悶着ある可能性も高いと思う。中東/イスラエル問題の再定義も必要になるし、しばらくは不安定化する可能性もあるでしょう。まあでも、国際政治のいびつな構造のひとつが整理されてまっすぐになった、っていう気もするし、基本的には今回のエジプトの事件は喜ばしいことだと思うんですよね。

3.
twitterで流れていて知ったんですけど、こんだけの出来事なのに、日本のテレビ局はエジプト情勢を中継したところがなかったんですって? もう日本のテレビに期待もしない、と思っていたけど、それにしてもひどいなと。ホントにどこも中継してなかったの?

日本は鎖国してるわけじゃなくて、むしろグローバル経済に一番どっぷり浸かって、その中に生きている国ですよ。たしかにエジプトは遠いかもしれないけど、自国の生存環境である国際社会、グローバル経済の重要な変化が今起きているというのに、それに関心を余り示さなかったって・・・。

北海道の記者さんがtwitterでつぶやいてたんんですけど、「こっちは日本に住んでるんだ。エジプトのことばっかり伝えるな。」という苦情が入ったそう。

大丈夫か、日本。
海外に住んでると、なおのこと日本の内向き加減、危機感のなさ、戦略の欠如が心配になるんですけど。

February 06, 2011

ヨーロッパの裏庭、アフリカの話。

南部アフリカ地域では、御年92歳のネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の検査入院が長引いたことなどをとらえて、健康状態を心配する声が広がっているところです。

言わずと知れた南アフリカ黒人解放の最大の功労者、27年の収監を耐えて南アフリカ共和国で黒人初の大統領になり、アパルトヘイト政策を終わらせた人ですが、不謹慎だとは思うんですけど、そういう方がまだ存命であることにある種の驚きを感じませんか? 制度的な人種差別が人道に反するなんて当たり前だと思っているし、そんなものとうの昔に廃止されていていいような気がしますけど、南アフリカで全人種参加の総選挙が行われてマンデラ氏が大統領の就任したのは1994年のこと。歴史というにはまだ日が浅過ぎる、最近の出来事なんですよね。

英領南ローデシアの首相、イアン・スミスが、白人による統治を掲げて英国から一方的に独立しローデシア共和国を建てたのが1965年。そのローデシア共和国が解消され、黒人政権のジンバブエ共和国が成立したのは1980年。私が小学生の頃の話。そして初代ジンバブエ首相のロバート・ムガベは御年87歳(2011年2月)にして現在もジンバブエの大統領として君臨。まだ歴史でもなんでもなくて、現在進行形の政治です。

南部アフリカ地域で一番新しいナミビア共和国に至っては独立は1990年。第一次世界大戦後にドイツ領から南アフリカ連邦(当時)領に変わっても、つい最近までずっと人種隔離政策が続いていたんですよね。

*   *   *

ポルトガル人が西アフリカ(現在のガーナ)に欧州勢として始めて砦を築いたのが1482年。同じくポルトガル人のバルトロメオ・ディアスが喜望峰に到達したのが1488年。これもポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回るインド航路を開拓したのが1498年〜99年頃。このあたりは世界史の教科書に出てくる話で、これ以降、欧州列強は南部アフリカに進出しインド貿易の航路として活用したほか、アフリカから金、象牙、奴隷、コーヒーなどを本国に輸入し、植民地としての開拓を進めます。オランダ東インド会社がケープ植民地(現・南アフリカ共和国のケープタウン)を成立させたのは17世紀のことです。

やがて欧州では産業革命が起きる(18世紀〜19世紀)。政治も領主様や国王陛下が直接統治する封建国家から、議会制民主主義、立憲君主制といった、今風の近代国家に脱皮して行きました。ポルトガルやスペインに変わって、いち早く産業革命を成し遂げたイギリス、革命を経て近代国家として歩み始めていたフランスなどがアフリカの植民地経営に精を出し、19世紀中には南アフリカでも鉄道が走るようになっていました。

・・・と、こうして見ると、ヨーロッパのアフリカ進出は世界史の授業のような昔話に聞こえますけど、ヨーロッパ人のアフリカ入植はずっと時代が下って、ごく最近まで続いていました。第二次世界大戦後に農場経営のための土地を求めて入植した人たちもいます。比較的新しく入植した人たちは別に黒人の土地を奪って開拓したわけではなく、通常の土地取引で農地を購入して入植しているんですけどね。スイスでは農家の次男、三男が南部アフリカに行って農地を開拓し、一旗揚げたらスイス本国で「お嫁さん募集」の広告を出すというのがよく見られた、という時期もあったそうです。あるいはナチス・ドイツの圧政を逃れて南部アフリカに新天地を求めたユダヤ人も少なくないし、貿易や欧州人のコミュニティのための様々なビジネスの機会もあって、最近になってアフリカまで商売を広げた人々も多い。

南部アフリカでは、今でもオランダ人、イギリス人、スイス人、ドイツ人などが経営する農場が数多くあります。(フランスは西アフリカ、北アフリカに植民地が多く、南部には少ない。)あるいは流通小売の業界にギリシャ系、ポルトガル系の人が多かったりする。もちろん、ヨーロッパ人ではないけど歴史的経緯からインド人も多いですけどね。そういえば、インド独立の父ガンジーは、、若い頃南アフリカで弁護士稼業をやっていて、人種差別に対する悩みを深めたといいます。

(ちなみに、日本が南アフリカのケープに最初に総領事館を開いたのは1910年、去年100周年でしたよ。まめ知識。)

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15世紀以来、連綿と続いたヨーロッパとアフリカの歴史的関係の最先端に、マンデラ元大統領がいて、ムガベ大統領がいる。「インド航路」だの「植民地開拓」だのって、歴史の教科書の上のお話として聞いてしまいがちですけど、今もアフリカの地には、その歴史の上に出来上がった社会があるんですよね。植民地時代がどっかでプツッと終わって現代のアフリカになったわけではなくて、前の出来事に新しい出来事を塗り重ねて、塗り重ねて今がある。

*   *   *

それで、15世紀以降のアフリカとヨーロッパの歴史をダラダラ書いて、もうひとつ何が言いたかったかと言いますと、日本から見るアフリカと、ヨーロッパから見るアフリカは決定的に違う、ということなんです。当たり前ですけど。

ヨーロッパにとってのアフリカの出来事は、裏庭での出来事。まして、今でもヨーロッパ人がたくさんアフリカに住んでいて、その人たちがヨーロッパの本国の国籍、市民権を持っている場合も少なくない。ヨーロッパの人にとって、アフリカの出来事が他人事じゃないでんすよね。アフリカに対して当事者感覚を持っている。

日本から見ると、「人道上支援しなくては」「豊かな資源を開発しよう」「グローバル化社会の一員として尊重せねば」「世界の安定・経済成長に重要だ」・・・といったお題目でアフリカをとらえがちなんですけど、ヨーロッパにとっては、たとえもう植民地ではなくなったとしても、どこかまだ身内の出来事という感覚があるように見える。

不謹慎なたとえかもしれないですけど、言ってみれば、ヨーロッパ諸国にとってアフリカ諸国は、日本にとっては国家として独立してしまった北海道のような感じなのではないかと思いますよ。アイヌ・ウタリ共和国(1965年独立)みたいな感じで。それで、東京とアイヌ・ウタリ共和国の関係が順調であればそれはそれでいいんでしょうが、もしもアイヌ・ウタリ共和国が汚職まみれの独裁国家になっちゃったり、本州人が拓いた農地を国有化する政策を推し進めたり、中国から武器を密輸したりしていたら・・・。ヨーロッパのアフリカに対する危機感は、それに近いような気がしますよ。

January 28, 2011

アラブ世界での開発独裁の終わり。

チュニジアのジャスミン革命がアルジェリア、イエメン、エジプトと広がりを見せていることについては、BBCとネットのニュースをざっと見て回っただけで詳しい状況は分からないし、たぶんその道に詳しい人がいろいろと解説してくれているんだと思うんですけど、私も気付いたことをちょっと書いておこうかと。

*   *   *

気付いたんですけどね、これらの国での市民のデモでの主張は「経済改革」「汚職撲滅」「自由・権利の拡大」とかで、宗教がらみの主張が含まれていないんですよ。イスラムへの回帰とか、世俗国家の追求、なんていう主張をしていないみたいなんです。より民主的な社会、よりフェアな社会を求めるデモなんですよね。

貧しく、国内に様々な対立勢力を抱え、国民の教育水準もあまり高くない国では、いわゆる開発独裁の強権的な政権が必要悪のように存在することが多いです。民主的選挙だの言論の自由だのというような贅沢に付き合っていたら収拾がつかないので、とりあえず、社会の少々の軋みは力で黙らせて、社会開発事業を推進する。東南アジアはそうやって急速に成長してきた国ばかりです。そして、アラブ世界も国王や国王のような大統領がいる国ばかりなんですよね。

しかし、社会が一定の開発段階まで至って、国民の教育水準、民度が高くなり、衣食も足りてくると、より民主的な体制を求めるようになる。特権を享受し一般市民とは比較にならない富を蓄えた支配階層を排除し、正統な自分たちの代表に国を率いてほしいと考えるようになる。そのとき開発独裁を敷いてきたアジアの為政者達は、ある者は市民革命に破れ、ある者はクーデターに倒れ、またある者は後継者に禅譲して引退し、あるいは自ら民主化を進めて次の時代を開いてその治世を終えた。マルコス、マハティール、スカルノ、蒋経国、リー・クアンユー、そんな名前が思い出されます。

それで今回のジャスミン革命に続くアラブ世界の動乱なんですけど、いずれも強権的な長期政権が続いていました。為政者たちがどのくらい真剣に社会開発に取り組んだのかはよく分からないですけど、それでもその統治下で曲がりなりにも経済成長は続いており、市民の多くは食うや食わずの生活からは抜け出していた。宗教的なスローガンが見当たらず、フェアな社会を求める主張をするデモを見ていると、世俗アラブ世界も民主主義という贅沢を求める水準に達していたのではないか、そんな気がします。東南アジアが2、30年前に経験した開発独裁時代の終わりを、今頃迎えているのではないかと。

まだ結論を出すのは尚早ですけど、そういう見方もできるように思っています。

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追記:

開発独裁の終わり、という解釈ではアジアと似ている面があるけれど、大きく異なることは、アラブ世界は域内にイスラエル・パレスチナ問題を抱えていること。これは大きい。

ヨルダンとエジプトはイスラエルとの和平協定を締結しており、アラブでありながら親米の姿勢を維持する政権が続いてきたんですけど、今回の市民蜂起ではこの体制が崩れる可能性が出てきています。政権の素性はともかく、ヨルダン、エジプトが中東の緩衝地帯としての機能を持ってきたことは確かで、だからこそアメリカもこの二カ国を援助でジャブジャブにしてでも支えてきたわけです。(ちょっと古い情報になりますが、直接・間接を合わせると、ヨルダンの国家予算の4分の1はアメリカが支えていますし、ヨルダンの人々の主食である小麦の半分は日本の支援に頼っています。)

市民の民度と生活水準が充実してきて、独裁的な政権を排除すべきと目覚めたというのは民主主義の観点からは結構ですけど、その結果がイスラエルとの対立の激化を招き、地域のさらなる不安定化という事態を招いてしまう可能性が高いことは、アジアの前例とは目立って異なる。もはや止めることはできないところまで来てしまった感の中東の市民蜂起、この後の展開は、中東の政治風景を一変させ、アメリカに世界戦略の見直し迫り、世界の政治経済、パワーバランスを一変させる可能性を帯びてきましたねぇ。

January 23, 2011

UNICEF職員はタダ働きじゃ務まりません。

UNICEFの国際スタッフ(日本ユニセフ協会の職員じゃなくて、途上国のUNICEF現地事務所で働く人)の日本人の友人が話していたことなんですけど、日本帰国中に「国連機関に勤めています。ユニセフです。」なんていう話をしていると、「ユニセフの職員が給料をもらっている!」と不満げな反応をする人が時々いるそうです。

そりゃ、給料もらいますよ。援助のプロですから、彼らは。片手間に道楽でやってるわけじゃなくて、高い専門性を持ったプロの仕事としてやってるわけですから。生活環境の厳しいところでの仕事が多いし、危険もあるし、それなりの待遇が当然必要です。

「ユニセフのスタッフが給料をもらっている」と訝る人々にとって、ユニセフとは慈善団体、ライオンズクラブとかロータリークラブとかと同じようなものと思われているんでしょうね。途上国の貧しい人々のところに手弁当で出かけて行って援助を差し伸べる、純真な心の人たちの集団、くらいのイメージなんでしょうか。

*   *   *

開発協力、国際援助の分野で、日本に力のある大手のNGOがなかなか育たないのは、この「タダ働きであるべきだ」という信仰が影響している部分も大きいように思います。国際NGOに幾ばくかの寄付をして、そのNGOがカンボジアに建てる学校の建設費になると思っていたら、そのNGOのスタッフの給料になっていた、といって怒る人がいる。

そしたら、誰がその事業を運営するんでしょう?
「お金持ちが、ボランティア精神を発揮してやればいい。若い人がインターンの一環でやればいい。」
たしかにそれで賄える部分はあるかもしれませんが、それじゃいつまでたってもアマチュア仕事だし、事業の拡大の可能性も、それどころか継続の可能性も小さい。結局、一時の自己満足に過ぎない事業や、とんちんかんな事業をやる小規模なNGOばかりになって、途上国の社会開発に自らコミットするような大手のNGOがなかなか育たない。小粒でもすばらしい仕事をしているNGOが数多くあるのも知っていますが、往々にして専従スタッフは極めて少数で、しかも薄給です。

日本人に多い「サービスはタダ」という感覚の延長線上なのかもしれません。「ものづくり」信仰が強いせいか、モノではない目に見えないサービスにお金を払う感覚が希薄ですよね。途上国に建てる学校の資材にお金を払うのはいいけれど、その建設のコーディネート作業にはお金を払いたくない。そんな空気がある。

小さなNGOや、普通に暮らす個々人の善意を軽んじるつもりはないですが、しかし、開発協力、途上国支援は「道楽」で済むものではなく、「仕事」として取り組まねばならない水準のものです。「善意の種をひとつ撒けば、大きく花が咲いて世界が平和に」というほど世界は甘くない。

世界が多くの人々にとってもっと住みやすくなるにはどうしたらいいか、という課題に取り組むことを仕事としているプロフェッショナルが世界には大勢いて、彼らの仕事がまわりまわって途上国に住んでいない人々の暮らしやすさにもつながってくるんですけど、「ユニセフの人が給料をもらっているなんて!」と文句を言う人たちにはそこまで想像力が及ばないんでしょうね。

まあ、街で外国人を見かける時か、買い物のときに「Made in ナントカ」って書いてるのを見るときくらいしか世界を意識しなくても楽しく生きて行ける日本にいれば、それも致し方ないか。

January 15, 2011

国際協力の仕事のキャリアパス。

前回のエントリーで、国際協力の仕事は新卒で就職するようなところにはあまり落ちてないもんだよ、なんらかの専門性を持ったプロが求められているんだよ、とは書いたものの、それって今大学生くらいの人が読んだら、かなりハードルが高く聞こえるっていうか、「自分じゃダメなんだ・・・。」と思わせる結果になってるかもしれない、と心配になりました。やる気を挫いしてしまっては申し訳ないっていうか、それは本意ではないので、それじゃ今、国際協力の現場で働いている人たちはどんなキャリアパスだったんだろうと、いろいろ思い出してみた。

当然、「新卒で就職して国際協力の仕事をやっています。」というパターンは、運良く国際協力機構(JICA)から内定がもらえた人の場合くらいしか聞いたことがなくて、大抵の人は「国際協力の仕事」を指向しつつ、いくつもの場所を渡り歩いて来ているように見えます。あくまで個人的な観察に過ぎないんですけど、そう見える。

大卒の22歳か23歳くらいからの10年くらいを、国内/海外のNGO、青年海外協力隊、協力隊調整員、国内/海外の大学院、民間企業、公務員(学校教師など)、医療関係職、自営業、JPO派遣制度、日本大使館の専門調査員/派遣員、JICAのジュニア専門員/長期研修員/特別嘱託、UNV・・・、というようなところを、だいたい1年〜2年程度づつで渡り歩いて、30歳もかなり過ぎてからそれなりに国際協力の業界で食えるようになった、という人が多いんじゃないでしょうかね。

で、大卒からの10年くらいの間にそれなりの経験を積んで、人に説明できるくらいの自分の得意分野ができれば、その後の仕事はだんだん安定してくるようです。

たとえば、国連機関のスタッフは終身雇用ということはほとんど無理で、多くは1年、2年の契約で仕事をしてらっしゃるようなんですが、ちゃんとキャリアを積んできた人であれば、契約が切れてもまた次の契約、次のポストの話が舞い込んで来るようになるみたいです。

あるいは、国際協力の仕事を専門とする人々が集まる開発コンサルタント会社で新卒採用をしているところは少ないみたいなんですけど、10年くらい経験を積んで国際協力の仕事の即戦力とみなされるよにうになれば、そういう会社に就職するという道も出てくる。国際協力機構本体は新卒採用中心ですけど、その周辺の関連企業は国際協力の経験者採用しかやってないようなところも多いようで、そういう会社に入る、というのもあるかもしれません。

10年かそれくらい、経験を積みつつ食いつなぐことができれば、それなりに方向性が見えてくる。そういう感じじゃないかと観察してます。

もちろん、ここに挙げた以外のポストもあるし、国際協力の業界にいる人の経歴は本当にさまざまですよ。「新卒でこの会社に就職して、今に至ります。」というような単線のキャリアの人が少ない業界です。

不況だ、就職氷河期だと喧しい昨今、「経験を積みながら食いつなぐ」というのはそれなりにタフで、綱渡りな局面もあるだろうと想像しますけど、就職、というか「就社」して会社員になるというのと一味違う働き方の世界としても、「国際協力の仕事」は面白いんじゃないでしょうかね。


(以上は、私の個人的見解です。この記事を読んで実践したけどうまく行かなくて、実家に引きこもり親の年金のおこぼれで生活する羽目になりました、と苦情を持ち込まれても知りませんよ。この記事が参考になれば、とは思ってますけど、自分の道は、結局自分で拓くしかないんですよね。)

January 06, 2011

国際協力の仕事を目指す人へ。

国際協力の仕事をしたい、という若い人の話を聞くこともそれなりにあったりしまして、そういう人たちに説教を垂れる、というようなことはやりたくはないんですけど、でも、毎回同じような話をしてばかりいるので、思うところをちょっと書き残しておこうと思います。

まずね、大学なり大学院なりを卒業してすぐ「国際協力の仕事」を得るのは、そう簡単じゃないですよ。日本全国の大学に、国際関係学科、開発経済学科、国際教養学科とかいう学科はたくさんあって、さらには政治学や経済学の方面から途上国開発の業界に興味を持ってくる人もいる。毎年、「国際協力の仕事ができたらなぁ」という卒業生は、きっと数千人はいるんです。多く見積もれば万の単位に乗るかもしれない。

だけど、みなさんが真っ先に思いつく、例えば独立行政法人国際協力機構(JICA)の新卒採用数は毎年30人とか40人とか。その他に将来にわたってちゃんと生計を立てられる「国際協力の仕事」は、新卒の人々に対してはほとんど門戸は開かれていないですよ。あとは、薄給で若い間しか勤まらないNGOや、原則2年の青年海外協力隊とか。就職希望者数に対して、圧倒的に枠が小さいです。

じゃあ、その他の「国際協力の仕事」ってどこにあるのか。

それは、開発コンサルタントであり、国連など国際機関の職員であり、国際NGOの職員であり、各種の国際協力専門家の稼業です。そこで求められているのは専門性を持ったプロなのです。「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という清い心だけでは勤まらない仕事ばかりなのです。逆に言えば、プロであれば「国際協力の仕事」を得るチャンスは広がる。

いい例なのは、青年海外協力隊の採用状況ですよ。協力隊はいろんな職種が募集されているんですけど、「理数科教師」「農業」「情報技術」といったような職種は途上国側から要請が多いのに応募数が少なくて、もしあなたが応募すればきっとかなりの確率で採用されますよ。他方、「村落開発普及」「青少年活動」とか、一見専門性がなくても気合いや日本人としての常識で勤まりそうに見える職種は大変な競争倍率になっています。で、実際に採用されている人には、イギリスに留学して開発学を勉強してきましたとか、過剰に優れた経歴の人がいたりするんです。

あるいは、特定の専門技術を持っていれば、英語がそこまで得意じゃなくても「途上国の人々を救う仕事をしてほしい」というオファーは向こうからやってくる。医者や看護士などは最たる例ですが、そこまででなくても、例えば送電網設計、上水道漏水対策、システムエンジニア、灌漑農業、HIV/AIDS対策、廃棄物処理、道路設計、教師・・・、なんらかの「手に職」があれば、「国際協力の仕事」がめぐってくることは多いです。手を挙げれば、ぜひ行ってくれ、となることも多い。だから、「国際協力の仕事」を目指すにしても、まずなんらかの専門性を身につけることの方が先だと思うんです。急がば回れ、の格言どおりですよ。「国際協力の仕事」の内定もらうには、運もよくなくちゃ受からないような国際協力機構や、若者の善意を買い叩いて善意を押し売りしているNGOを目指すのもいいけれど、もっと広い視野で仕事探しをした方がいいと思うんですよね。

そして、実は、なんだかんだ言っても途上国の人々の困窮を救うのは、経済、もっといえばビジネスであるというのが現実だったりします。「国際協力」を看板に掲げている人たちの活動よりも、そこに工場が進出してきたり、新しい商売が生まれたりした方が、現地の人々の生活に余程プラスだったりするんです。国際協力だといって援助をするよりも、金儲けを覚えてもらうことの方が、経済開発には大事だったりする。

だから、「国際協力の仕事」を目指す人には、純粋に「国際協力」を掲げているところばかりを探すのではなく、民間企業の活動だって途上国の人々の生活向上にものすごく貢献している、ということを忘れないでほしいなと思うんです。そして、なんらかの専門性を持つことを目指すことをお勧めしたい。肩肘張って「国際協力」と言わなくても、あなたの日々の仕事が途上国の困窮を緩和することに役立っていることも多いだろうと思ったりするのです。

*   *   *

繰り返しですが、国際協力の現場で求めれらているのは、なにかの「プロ」です。

国際協力機構や国連機関は「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という気持ちが純粋であれば純粋であるほど、心が折れそうになる官僚的な職場だとも聞きますし、「国際協力の仕事」がしたいとは結局どういう仕事がしたいのか、冷静に落ち着いて考えてみられるとよいと思いますよ。要は、困窮している国の人々の暮らしに役立つ仕事、であり、それは自分の専門性をもって貢献する、ということで実現されるのではないでしょうかね。

少なくとも、「国際協力の仕事」は、大学の3年から就活をすれば内定をもらえる、というところにはあまり落ちてないと思いますよ。

December 30, 2010

象牙海岸から見る、民族と国家。

11月に行われた象牙海岸(Ivory Coast)の大統領選挙の結果が混乱して、まだ収束してません。選挙は現職大統領のバグボ(Gbagbo、グバグボとも。日本語での表記は確定していない)候補と、元首相のワタラ(Ouattara)候補の間で戦われたんだけど、同国南部を支持基盤とするバグボ候補(=選挙時点での現職大統領)は北部地域(ワタラ候補の支持基盤)の投票には不正があったので無効であるとしてその部分を除いた選挙結果を元に勝利宣言。ワタラ候補側は、全土の選挙結果を見れば当然ワタラ候補の得票数が多いとしてこちらも勝利宣言。どちらも引かない状況となってます。

国際選挙監視団、アフリカ連合、国連、欧州連合等は、選挙に際し若干の暴力は見られたものの、ワタラ候補側が勝利したと認めて、ワタラ候補側が任命した大使を正式な大使として認める、といった対応を取ってます。でも、バグボ候補側が引く気配がなく、二人の大統領が存在したまま内戦の恐れも出て来ています。象牙海岸に基地を持つフランス軍は、同国に滞在するフランス人に対し、「予防的措置」として国外待避を要請しているとの情報もあるようです。

象牙海岸は元々北部と南部で民族的、宗教的な差があります。それに加え、隣国で世界でも最貧国の部類に入るマリやブルキナファソの人々が、カカオの産地であり相対的に豊かな象牙海岸の北部に流入していて、南部の象牙海岸人が「北部の人間は純粋な象牙海岸人ではない。」と主張する要因となっています。(ちなみに、ワタラ候補自身も両親がブルキナファソから象牙海岸に移住しており、かつイスラム教徒。)

バグボ「大統領」は、南部の象牙海岸のアイデンティティを強調し、メディアを統制して「南部人こそ象牙海岸人、北部人はよそ者」という民族主義的な主張を広め、ポピュリズム的手法で南部象牙海岸人の支持を得ているといいます。

*   *   *

国内に異なる民族集団がいるという状況は日本人には想像が難しいものがありますよね。日本は民族、言語、国土の領域が一致する国ですが(って言うと、アイヌや在日朝鮮人の話を持ち出して批判される向きもありそうですが、で、確かに無視できない論点ではあると思いますが、他国と比較して大枠で見れば「ほぼ」民族、言語、国土が一致しているとして、今は話をしても構わないでしょう)、世界的に見れば、そういう民族、言語、国土が一致するという国の方が少ないというのが現実です。アメリカなど新大陸の国々は言うに及ばず、中国、ロシア、インドなどの大国、中東欧の国々にも多民族、複数民族の国家が多数です。ドイツ、フランス、イタリアなどは比較的、民族、言語、国土が一致しているようですけど、イギリスは「連合王国」って言ってるくらいで、よくみれば「連合王国人」よりもスコットランド人やアイルランド人としてのアイデンティティが強い人々が多そうです。

そういう国内に複数の民族を抱える国を国として運営して行くには、国民統合の施策が必要になります。日本にいる人に「あなたは何人ですか?」と聞けば、自民党の人でも共産党の人でも「日本人です」と答えることに何の疑問もないでしょうけど、世界にはそうでない国が多いのです。「クルド人でトルコ人」、「キクユ族でケニア人」、「パレスチナ人でヨルダン人」、などなど、国籍を有する国と、民族的アイデンティティが必ずしも一致しない場合が少なくない(「族」という表現は差別的だと批判する人もいるようですが、慣用的に使われてきた表現で特に差別的含意を持って使っているわけでもないので、そのままにしておきます)。そのため、世界の国々には国民意識を根付かせる仕掛けが必要になっています。「日本人が日本人であると自覚するための仕掛け」といっても、民族、国土、言語が一致していることを目の前にすればあまりに当たり前過ぎでピンとこないですけど、まあ強いて言えばそれは日本書紀や古事記に始まる建国の神話であったり、天皇家の存在あったりするわけです。それがたとえばアメリカであれば建国の精神とその権化である合衆国憲法、そして星条旗と大統領が「アメリカ人であること」の拠り所です(「英語」はアメリカ人であるところの要件かというのは、ヒスパニック系住民の増加という現実を見ると、これはまたこれだけでひとつの議論ができそうです)。また、たとえばタイ。純粋なタイ族っていうは実はそんなに多くなくて、中華系のルーツを持つ人も少なくないんだけど、1930年代に「タイ人化教育」をかなり徹底的にやってる。学校での中国語教育の禁止とかまでやってますよ。それに王室という象徴を戴くことによって、「タイ人」が「タイ人」として自覚することを当たり前とする国を作り出してます。

インドネシア、ジャカルタの中心にある独立記念公園に行くと、立派な記念塔を備えたモニュメントに独立記念博物館があります。あれこそは、「インドネシア人」としての国民意識を育む教育の象徴じゃないでしょうか。そもそもインドネシアという国のあるところは、古くはシュリーヴィジャヤなんかがあってスルタンや地域の伝統的指導者がそれぞれの島や圏域を支配していた地域だけれども、最終的にはオランダ支配の領域が「国」として独立したものであって、そこに住んでいる人々に「インドネシア人」という自覚なんてなかったわけです。だいたい、「インドネシア」という呼称自体がヨーロッパ人目線の言葉ですしね。だから、「国」として独立しても、放っておけば遠心力でバラバラになってしまうのも必定、っていう感じの国なわけです。現に東ティモールは分離しましたし。インドネシア人に自らをインドネシア人と自覚させるためにはそれなりの仕掛けが必要であり、それは建国神話であり、独立の英雄であるわけで、その象徴があの独立記念公園ですよ。「あなたがたの祖国はインドネシアである。」、そう自然に感じられるだけの物語が必要だったのです。この「インドネシア人」の国民教育を進めたという意味でも、スカルノはインドネシア「建国の父」と呼べるでしょう。

タンガニーカの大統領であり、その後ザンジバルと合併してタンザニアの初代大統領となったニエレレ(Nyerere、ニェレレ、ナイレレとの表記もあり)もまた、「タンザニア」の国民教育を進めた人物でした。自身はザナキ族の出身であったものの、民族間和平、タンガニーカとしての独立を主張し、今の「タンザニア」という国の形を決めたと言えると思います。

これと対照的なのがケニア。初代ケニヤッタ大統領は独立以来、西側寄り資本主義体制を堅持してケニアに経済発展をもたらしたんですけど、「ケニア」という国というよりは同国で多数派のキクユ族にその支持基盤を置き、なにかにつけキクユ族を優遇しました。ケニヤッタ大統領の死去に伴い就任したモイ大統領、そして政権交代よって大統領の座を得たキバキ大統領も政権ではキクユ族を重用しています。現在でも、ケニアの人々に自身のアイデンティティについて尋ねると、「ケニア人」と答える人は半数しかいないという報告もありました。多くの人が「ケニア人」である前に、「キクユ族」「ルオ族」という部族をアイデンティティとして自覚しているということです。ケニアでは2007年年末に行われた大統領選挙後の混乱、暴力沙汰が記憶に新しいところですが、これはキクユ族(キバキ大統領)対ルオ族他その他部族(オディンガ候補)という側面が強く、これまでは好調な経済によって覆い隠されていたものの、実はケニアという国家の統合があまり進んでいないことを露呈したように思います。

*   *   *

話を戻して象牙海岸の話。「象牙海岸」という国家ではなく、南部の支持層だけを基盤として北部を異端視するバグボ大統領の政権下で国民統合が進んだとも思えず、どういう展開になるのか気になります。国際社会はバグボ大統領の退陣を求めていますけど、これ以上の流血の事態を避けるためには、ケニアやジンバブエで行われたように、両陣営に政権入りさせて連立政権を組ませるというオプションも模索されるでしょう。

ニエレレやスカルノの例を挙げて、国民統合の推進を紹介してみましたけど、別に無理矢理「○○人である」と認識させるよう洗脳を進めるのが望ましいと言ってるわけではなくて、民族ごとの自治権の拡大と中央政府の役割のバランスを取ることで国家、国民の統合を進める、連邦制的な方向だってあるわけです。あるいはスーダンのように、選挙によって国を分割するかどうか決める、という選択をしたところもあります(2011年1月にこの件を問う住民投票が行われます)。

今日明日に片付く話ではないですけど、民族と国家の関係を考えると、象牙海岸でどういう統治が模索されていくのかとても興味深いものがあります。

December 15, 2010

コペンハーゲンに行ってきました。


出張でコペンハーゲンに行ってきました。デンマークの首都です。出張の用向きは脇に置いておいて、デンマークの話がいろいろ面白かったので備忘録がてらにメモっておこうと思います。特に賢いことや鋭いことを書こうというわけじゃなくて、ただデンマークの話。

まず、デンマークはヨーロッパでもかなり北、スカンジナビアに入ります。コペンハーゲンからスウェーデンのマルメまでは橋がかかってて、車で45分くらいで行けちゃうんですね。デンマーク側の方が付加価値税25%、物価も若干高いらしく、マルメに買い物に行ったり、マルメに住んじゃったりしてる人もいるそうで。

デンマークの人口は550万人くらい、在留邦人は1500人くらい。デンマークという国はクリスチャン4世という王様が建国した国で、基本的に商人の都市国家の性格が強いみたい。現在でも世界最大の海運会社・マースク(Mærsk)の本拠はコペンハーゲン。そういえばこの「Mærsk」って「MAERSK」っていうロゴの入ったコンテナの会社だよね。よく見かけるけど、あれってコペンハーゲンの会社だったのです。

コペンハーゲン、古い町並みが美しいのですが、それにはいくつか理由があるようでした。

まず、第二次世界大戦であまり焼けてない。ドイツに侵攻されたとき、数時間で降伏したそうです。勝ち目がないので無駄な戦いを避け、ドイツ占領下で戦時経済を生きることを即座に判断したそうな。いかにも商人らしい発想です。なので、古い建築の保存がよい。そして、国が古い建築の保全を行っている。新しいビルを建てるのはともかく、古い建物は潰させない。リノーベションして別の用途に使わせる。そしてそれがすごいいい感じなんですよね。元港湾倉庫の会議場とか、基本構造は木造なんだけど、現代の建築にはない贅沢な材料を使っていて、洒落てるんです。

聞けば、古い建築を維持するのに、固定資産税の減免、歴史的建造物管理費の徴収、リノーベションが必要になったときの補助金など数々の制度があるらしい。

そして、古い建築でも天井が高くて窓が大きい。日光が貴重なほど緯度が高いので、昔から窓を大きく造ってたんですと。地震もないので、そういう設計でも大丈夫です、とのこと。で、その窓から部屋の中が丸見えの家が多いんですが、窓辺に趣味良く観葉植物やランプシェードが置いてあって、白熱灯の暖かい光が外に漏れてくる。なんだか余裕を感じる。

街を歩いていると、道路よりも低い位置、半地下に部屋がある建物が多いので、なんでこんな建築なのか聞いたんですよね。で、説明によると、コペンハーゲンの街は厚い砂の層の上にあって、ほとんどの建物は基礎の柱が岩盤までは達してない。なので、建物が数百年をかけて砂地にゆっくり沈んでしまってるんだって。少し沈むごとに建物全体が平準になるように手を入れるので、特に問題はないそうです。

国民性。商人の魂が息づいているらしい。デンマーク人は就職してからリタイアするまで、平均して6回くらい転職するらしいですけど、転職は普通のことで、転職が多いのは望ましくない、という偏見もなければ、「キャリアアップだ」というガツガツしたところもない、だそうです。なんでもうまい仕組みを作るのが上手で、長時間労働しているわけでもなければ、ギリギリと根を詰めて働いている風でもないのに、なんとなく仕事が上手く回るように整えられていることが多い、と、コペンハーゲン在住の日本人が言ってました。

空港やホテルや仕事上で出会ったデンマーク人ですが、なんというか、さらっとした印象。満面の笑顔で精一杯暖かくお出迎え、という感じでもなく、といって無愛想でもなく、もちろん隙あらばカモにしてやろうというようなアグレッシブさがあるわけでもなく。個人的にはとても気持ちのいい人たちだと感じましたよ。特にアフリカくんだりから来ると、「洗練」を感じました。

先進国のご多分に漏れず、少子高齢化の波には見舞われているらしいんですけど、合計特殊出生率は1.8くらい。1.3とか言ってる日本に比べるとかなり高い。人口550万人と小回りの効くサイズで、しかも「うまい仕組み」を作ることに長けているいるので、年金制度とかもあんまり深刻なことにはなっていないそうな。付加価値税が25%と非常に高いのも、その税収がどう使われているのか国民に見えるサイズの国なので、それでも国民が納得するんでしょうね。

私が滞在した間は寒気の流入が止まっているとかで、一番寒くても気温マイナス2℃くらいだったんですけど、北極方面から寒気が流入すると4時間で15℃下がって一気に氷点下10℃以下になる、というようなことも割と普通に起こるそうで、デンマークの子どもたちは幼い頃から寒くても外で過ごして寒さへの対応を身につける、なんていう話も聞きましたよ。

東京に比べると随分小さな街で、エキサイティングさには欠けると思いますけど、それなりに楽しく暮らせそうな街だ、そんな風に思いましたとさ。

November 28, 2010

辺境の国・日本の、押し付けない国際協力。

原研哉氏の「デザインのデザイン」という本を読んでいたんですけど、この部分が非常に印象に残ったんです。ちょっと長いですが、引用してみます。

「東京は好奇心の旺盛な街だ。世界のどの都市よりも他の文化から情報を集めることに熱心である。そしてそれらの情報をていねいに咀嚼して、世界に起こっていることをリアルに理解しようと勤勉な知性を働かせている都市でもある。自分たちの立っている場所が世界の中心ではない、そしてそもそも世界に中心などないのだという意識がその背後には働いているような気がする。だから自分たちの価値観で全てを推し量るのではなく、他国の文化の文脈に推理を働かせつつそれを理解しようとする。」(p.155)

もうひとつ、内田樹先生の「日本辺境論」。これもちょっと引いてみます。

「日本という国は建国の理念があって国が作られているのではありません。まずよその国がある。よその国との関係で自国の相対的位置がさだまる。よその国が示すヴィジョンを参照して、自分のヴィジョンを考える。」(p.38)

ちなみに、内田先生は日本人がこんな「辺境性」を持っていることを別に否定的に書いてらっしゃるわけじゃないです。ただ「そういうものだ」と書いておられる。また、この本では、梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」を引用していて、それは以下のとおりです。

「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している。一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。」

*   *   *

これね、海外で生活しているからかもしれないですけど、実感としてこのとおりなんですよね。有史以来、日本は中華であったことはない。常に辺境であり、辺境としての国民性をもって強かに生き残ってきたんですから、自ら世界に範を示すことが生来的には身に付いていない。別にいいとか悪いとかいう話じゃなくて、そう。

ミクロの現場では、「べき」論を以て雄弁に語る欧米人を前に、気後れすることも多いです。しかし、私の英語力の問題もありますけど、英語力が十分だったとしても、ああいう風には語らない、語れないことが多いなと思うこともしばしばなんです。常に、周りの考えを見て、自分の考えを検証している自分がいます。

*   *   *

日本の国際協力事業の現場に携わったことがあるんですが(今も携わっていますけど)、日本の国際協力の特徴に「要請主義」というのがあります。原則的に、相手国側から「要請」されたものに対して応えるという方針です。こちらから押し付けない。あくまで相手国側の考えを尊重して、「うちの国の開発にはこれが必要なので協力してください」と要請されたものについて協力を検討するという原則があります。

もちろん、「おたくの国の発展にはまずこういうところから手を付けるべきなんじゃないですか」と日本側から提案して、最終的に相手側に要請させるということも少なくないので、いつも「ご用聞き」だけをやっているわけじゃないですが、原則は「要請主義」です。また、これは「ownership」の強調という日本の支援の特徴も同時に説明しています。すなわち、日本はあくまで「支援」「協力」はするけれども、事業の主体はあなたの国なのですよ、プロジェクトはあなたの国が実施したいとして日本に支援を要請しているから日本は支援するだけですよ、という「当事者感覚」を強調することにつながってます。相手国側が自分で考えて必要だと思って要請してくる、その事業は相手国のものです。日本はそれを支援する。

押し付けないのです。相手国の言い分を聞く。相談に乗る。その上で助言する。開発途上国には自国の開発課題について取り組む政策や事業計画を策定する能力も覚束ないところも多くて、まともな要請を出すこともままならないという国も多いので、まず相談に乗る、ということも少なくないです。結果として、事業開始までにやたらに時間がかかることも少なくないですけど、事業計画の形成段階から、相談に乗って議論を導くところから援助が始まっていると見ると、時間がかかるのも仕方がないなという面もあるんですよね。

で、なぜいきなり日本の国際協力の話をしているかというと、この日本の国際協力の特色も、自分たちの価値観を絶対のものとしない、どこか別のところにヴィジョンがあって他所様のヴィジョンに照らして自分のアイデンティティを確認する、という日本人の特色が非常によく反映されているシステムに見えるからなんですよ。途上国とはいえ、相手国の考えには耳を傾け、一緒に考えてみる。既成の「正解」を安易に持ち込むようなことはとりあえずしない。

欧米諸国による国際協力事業は、パッケージを持ち込むようなものが多いんです。エイズ対策はこう、水・衛生問題対策はこう、食料支援はこう、という、すでにデザインされて出来上がった事業計画を持ち込むことが多いように見えます。これが定石、正しい対応というもの用意してきて現地で指導し適用する形態です。さらにキリスト教系の援助団体ともなると、自分たちの価値観まで一緒に広めようとしたりして。自分たちの範に従えばよろし、という中華な空気が感じられることも少なくない。

そういう欧米式の援助も効果は高いです。特に即効性が高いことが多い。日本の支援がいつまでも始まらずだらだらしている間にバンッと資金と人とを投入して成果を上げる局面も何度も見ました。

それもよい。否定はしないし、ひとつのやり方だと思う。でも、相手国側の文化的文脈に合致していなくて、一時の成果だけで長続きしなかったり、時に傲慢に感じられたり、あるいはたとえば「民主化の支援」のような政治的に敏感な分野では原理的主義的な危うさも感じたりする。

世界の先進国、援助国による援助事業は、みんなそれぞれに個別の事情、特色を持っていますけど、日本のODAも例に違わず「要請主義」「ownership」で代表されるような独自色があります。上記で引用した識者の方々の日本、日本人の特徴についての評を、人の顔色ばっかりうかがって情けない、という風に見ることもできるでしょうが、好意的に解釈すれば、相手のことをよく考えている、ということです。日本の国際協力にも、その特徴がよく反映されているように思うのです。

まあ、実際の現場には、さらにさまざま事情があって、ここで書いたようにすっきり「日本はこう、欧米はこう」と割り切れないことも多いですけどね、実は。

November 15, 2010

「頭がいい」と「物知り」

「ソーシャル」なサービスが興隆したこともあって、従来型のマスコミに頼らずに現場の情報が入手できるようになりました。当事者の弁が聞けるようになったし、マスコミの舞台裏も見えるようになりました。

twitterだのなんだのっていうツールを活用していると、アフリカの当地のようなネット接続環境が悪くて動画なんかのリッチコンテンツの閲覧が難しい場所にいても、世間で、社会で、世界で起きていることについての最新のニュースやその当事者の弁、さらにそれについての専門家の分析から識者の評価、一般の人々の反応まで見ることが出来る。

一時情報に近いところに誰もが立てて、興味のあることについては深入りして調べることもできる。機械が手足の能力を拡大し、自動車の普及によって人の移動能力が拡大したのと同じように、ネットによって人の目や耳といった感覚器の能力が拡大されたような感覚です。

ただね、毎日、たくさんの情報に接して、そのそれぞれの事象にすでに多くの人が多くの意見を述べ、分析し、評価をしているのを見続けると、それじゃあ果たして自分はどう考えるのか、ということに結論を出すのが随分難しくなったように思うんです。

「それもそうだ。」「そっちの言うことも一理ある。」「でも現実はそうだよね。」「やっぱりおかしいんじゃない?」

みんなもっともらしくて、「私」の意見はどうなのか決めかねる状況が増えているような。

*   *   *

なにかの計画を立てたり、なにかについて論説したりするときに、手元に資料を集めて机上で検討しているときには、思い切った結論を述べたり、立派な理論を主張したりできるのに、その現場に行って生の声を聞いて現実を深く知ってしまうと、途端に歯切れが悪くなるというのは何度も経験したことがあります。「そうは言っても、これが現実だからねぇ。」「お言葉ごもっともだけど、でもさぁ。」そんな感じです。

現場にいる人々に対する情に流される、というのも多分にありますけど、机上で考えていたときには見えなかったことが見えてきて、考慮に入れるパラメーターが増えて判断が難しくなる、という感覚ですね。

ネットが社会のプラットフォームとしてこなれたものになってきて、これと同じ感覚を覚えます。机上、というか端末の前に座ってしまうと、現場に行っていなくても現場に近いところからの声が聞こえる。さらにそれに対する多くの意見も聞くことが出来る。

*   *   *

ネットの普及によって、だれでも擬似的に現場を見ることができる。少なくとも現場に近いところの人の声が聞ける。これは素晴らしいことだと思うよ。でも、他方では今まで以上に「私」の判断力が試されているように思います。

「じゃあ、あなたはどう考えるのか。」

たくさんの情報が入手可能になった分だけ、パラメーターが増えた分だけ、考える力がシビアに試されるようになったよね。

「考える力」「賢さ」、さらに言い換えれば「教養』「英知」っていうのは情報や知識を溜め込んでいるのとは違う。情報や知識を持っていることは前提条件で「考える力」っていうのは次元の違うことだっていう、当たり前のことを改めて認識しています。


と、ごにょごにょ御託を並べてますが、要は「頭がいい」と「物知り」がイコールではないってことは、ネット社会になって一層痛感させられるよね、って話です。

November 12, 2010

18世紀以来の外交の変革期、かも?

もう議論も出尽くした感がありますね、尖閣諸島沖の海上保安庁巡視艇と中国漁船の衝突の様子を収めた動画がYouTubeで流出した件。

で、それに関して、なんら目新しい答えや意見を出せるわけではないんですけど、ただ、今回の海上保安庁の動画流出の騒ぎを見ていて、政治や外交の世界も、ネットの世紀になって新しい時代に入りつつあるのだなぁと感じたりなんかしてるので、ちょっとだけその感想を書き残しておこうかと。

外交ってさ、古くは国王とか皇帝とかの専権事項で、要は王様が使節を送って外国と物事の調整をする作業だったわけでしょう。成功も失敗も最終的には王様自身の威信の問題で、王様の責任だったんですよね。そこで民が意識されることは少なくて、国家を体現する王様とその取り巻きや貴族達だけが情報を独占してた。民は戦に駆り出されるばかり、って時代だったはず。

ところが、18世紀頃から今風の議会政治が成立する国が出て来て、民主制、議会制民主主義の国が出て来た。外交は政治を通じて間接的に民の信託を受けた外交の専門家が行うようになった。で、この時代から新聞というメディアも発達してきて、主権者たる国民も、曲がりなりにも情報に接することができるようになってきて、「情報を持った民がいて、少なくとも建前上は最終的には彼らが決める」という新しい環境を前提とした、現代にまで続く外交の手法が構築されていったんですよね。もちろん紆余曲折があり、様々な問題や失敗も経験してるんですけど、外交の秘密保持と情報公開のバランスとか、政府と外交官と新聞の関係のあり方とか、民主外交に必要なノウハウや経験が積み上げられていったわけです。

そしてラジオ・テレビの時代がきた。新聞より速報性があり、民に対する訴求性も高いメディアなので、またそこでも外交の新しい方法論が積み上げられていったんでしょう。が、しかし、それは新聞というメディアとの付き合い方の延長線上にあったように思います。新聞より速い、新聞より情報量が多い、という違いはあれど、情報の流れ方には基本的に違いはない。そう、「マスメディア」であることには変わりない。

ところが、ネットの時代は本質的に新しい。政府と外交官とマスメディアの3者の間で培われた枠組みの外側に、まったく新しい情報のルートができつつあるんだと思うんです。だれしもが新聞やテレビの力を借りずに情報を拡散する力を得て、この3者のコントロールの及ばないところで情報が大々的に流れるようになってますよね。Wikileaksも、公安情報の流出も、海上保安庁の動画流出も、今までとは全く違う情報の流れを作っている。従来型のマスメディアの枠外の話になってる。

確かにすごいことになってきたんじゃないですかね? 封建時代の外交から近代外交に移り変わった18世紀以来の大きな地殻変動のような気がしているんです。「外交と情報」という視点から見ると、18世紀初頭以来の、2、300年ぶりの新局面じゃないかと。国民主権と言いながら、選挙の時以外は観客に過ぎなかった市民が、ネットというプラットフォームの上にソーシャルメディアという情報空間を得て、政治と外交とマスメディアという既存3者が300年安住してきた心地良い空間を激しく揺さぶっている。そんな感じがするんですよね。

だったら、この新しいセットアップのもとでの外交はどうあるべきなのか。情報のコントロールはどうあるべきで、どういう風な政治が求められて、市民にはどんな教養が必要とされるのか。私には今のところはなんの回答もないんですが、ただとにかく、私たちは新しい地平に立っているんじゃないかなー、すごいことになってきたなー、というのは実感するんですよね。

October 30, 2010

空港のセキュリティチェックの目的は?

British Airways のCEOが公式の場で、空港での飛行機搭乗前のセキュリティチェックは意味がないのが多い(redundant)じゃないか、と発言したら、BAA(イギリスやイタリアの空港を運営する会社)の社長も「そうだそうだ」と同意したという話。少なくとも、

・靴を脱がせる
・パソコンを鞄から取り出させる
・液体の客室持ち込みを禁止する

というのは、余計だと言ってます。そんなことしなくても危険は十分に検出できるんですと。さらには、「これらの検査はアメリカに押し付けられてやってるのに、アメリカの国内線ではやってないところもある。」とも言ってます。で、液体の件については2013年には機内持ち込み禁止を撤廃する技術的準備が整う、とも。

*   *   *

思えば、空港のセキュリティ検査が厳しくなったのはアメリカがブッシュ政権だった頃、9.11の後に以前にも増して厳しくなっていきました。

当時、ブッシュ政権はしきりに国民に、世界中に、危機だ危険だ脅威だと訴えまくってました。入国審査で写真を撮ったり指紋を採ったりしないと危ない、街中に監視カメラをつけないと危ない、危険人物はグアンタナモに隔離しておかないと危ない・・・。

実際、9.11が起きてしまってたわけで、危ないと言われれば否定できないし、説得力もある。

・・・でもこれって、統治する側からするととても便利な手法なんですよね。都合の悪いモノ、コトに対して、強制捜査とか諜報とか身柄拘束とかをやり易くなる。実際、ブッシュ大統領はアフガン侵攻について白紙委任状を議会から取り付けたしね。で、国民は安全のためなら仕方ない、と思うし、積極的に協力さえする。

アメリカの産業のかなりの部分を占める軍産共同体にとっても、市場を拡大する追い風になる。戦争に及ばなくても(実際には及んだんだけど)、様々な治安維持、軍事関係のデバイスが売れる。予算も取れる。

そして何よりも、外部からの脅威に立ち向かわなければ、というときにはアメリカ人は大統領の元に団結する。国家の危機に際して、大統領に反対することは難しい。大統領の支持率にもプラスです。

んなもんだから、あの政権は国民が、世界中の人々が、危機の瀬戸際に立っているのだと信じるように、折に触れて人々を脅していました。まあ、実際にまったく安全な世界に生きていたわけではないですけど、実際の脅威以上に戦略的に人々に恐怖感を忘れさせないよう努めたように見えますよね。「そんなに危機が迫ってるの?」なんてとても口にできない空気を作ってた。

空港のセキュリティチェックはその手段として一番使い易いものですよ。テロの脅威があるのだ、危険なんだということを忘れさせないため、検査を煩雑に、厳しくしていく。パソコンを取り出せ、スーツケースはカギをかけるな・・・。そうすると、みんな空港を通るたびに、世界は危ないのだ、脅威に満ちているのだ、と再確認させられる。ホントはどれくらい脅威に満ちているのか分からないし、一般人には知りようもないんだけど、そうやって「テロの脅威、危険、危険」と刷り込まれていく。


今回のBAのCEOの発言は、やっとその呪縛が解けたというか、なんかおかしいんじゃないの?っていうことがやっと言えるようになった、ということなんだと思うんですよ。みんな、鬱陶しいなぁと思っても、「安全のため」と言われれば反対のしようがない。検査を厳しくすることには賛成できても、緩和については口を開きにくい。それがやっと、冷静に考えたら無意味なんだから止めてもいいじゃん、と、当事者がやっと発言できた。そういうことかと。

*   *   *

なんて考えてたら、国際ニュースで「イギリスからアメリカに向ってる飛行機にイエメンからの不審な荷物が!」なんていうニュースを速報で流している。どこまで本当なのか、どのくらい取り越し苦労なのか知らんけど、BAのCEOの発言を牽制するようなタイミングの良さ。

なんだかなぁ。

September 04, 2010

無謬を求め過ぎるのも大概にしよう。

遅ればせながら、引き続き高齢者行方不明問題の件。

この話でも気付いたのは、すべてに無謬を求める風潮が根強いことですよ。すべての戸籍が完全で、すべての国民の所在が確認されていることを求めるような報道が多いです。

無理だって。

1億2千万の国民の記録が全部完全に押さえられると思う?そんだけあれば、いろんな例外や予想だにしない人生を送ってる人もいるはずで、それを全部完全に確認しておくべき、というのは、原理原則としては正しくても、実態面では無理があるよ。

いや、もしかしたら可能かもしれないけど、可能にしようとすれば、今度はものすごいコストがかかるはず。役所の人が半年に1回国内すべての世帯を巡回して確認する、とかやったら、今の公務員の数では到底無理で、そのための費用は膨大になるよ。数万人だか数十万人だかに1件の記録の不備をなくすためのコストとして正当化できる金額ではないはず。そのくらいの記録不備は、望ましいことではないけれども、許容しておかないとしょうがないでしょう。

コストと便益の競争ですよ。どこまで完全を目指すか、その場合にかかる費用はいくらか。そのバランスをとって、最も便益の高くなる妥協点を見つけなくては。少なくとも、コストをかけまくって無謬を目指すことは正しくない。

*   *   *

この手の無謬信仰って、けっこう見かけるよね。

たとえば麻疹の予防接種。何十万人に一人だか、予防接種による重篤な副作用が出たということで、それに対する批判に抗しきれず、予防接種自体を止めてしまった。結果、大人になって重い麻疹に罹る人が出てきたり、麻疹が流行して大学が休学になったり、外国から日本が「麻疹汚染地域」と看做されてしまったり。その社会的、経済的損失は、何十万に1例という副作用を避けるためだったとして正当化できる?私はできないように思うんですけど。タミフルの件も似たような話だったよね。


駅のプラットフォームにドアを付けるという件なんかも。プラットフォームから落ちたり、はみ出して電車に接触する事故があるので、電車が停車した時だけ開くドアをプラットフォーム側に付けましょう、という話。

都内の乗降人数の多い地下鉄の駅とかならば、事故率の高さとドア設置の費用を検討すれば、ドアは付けた方がよい、という判断になることも多いんでしょう。腐ってもまだ日本は豊かな国だし、ドアくらいなら設置する余力もある。

しかし、国内すべての駅に設置すべき、という主張はやはりおかしい。盲人団体などから主張されれば、面と向って「できません」と言いにくい事情は分かりますけど、乗降量や電車の本数から考えて、ドアの設置費用が鉄道経営的に正当化できない場合が多そうなのは素人でも予想できる。そもそも、乗降量の少ない駅ではホームから人が落ちて電車に接触、なんていう事故は何十年に1回あるかないかという話でしょうし、そんな事故を防止するために鉄道経営自体が傾いてしまったら元も子もないでしょう?

*   *   *

消費者が王様、という日本社会においては、企業や役所に消費者である市民が無謬、リスクゼロを求めることを否定しない。それどころか、マスコミも一緒になってそれを煽る。それどころか、マスコミが先頭に立って煽ってる。こんにゃくゼリーの事故の一件とか、まさにそう。

それで、政府の方も「消費者庁」なんて屋上屋みたいな機関を作ってしまって、国民のわがままにおもねってる。

それはものすごくコストのかかることだし、もっといえば、無駄があまりにも多い。みんな、成熟した大人なんだから、もう少し考えようよ。

*   *   *

ついでに、思い出したのは飛行機の設計。

これは限りなく無謬、リスクゼロを求めるべきと考えられる。たとえ100万回の離着陸に1回事故を起こす程度だとしても、世界中で毎日何万回も離着陸が行われているわけだし、事故ったときの影響の大きさを考えれば無謬を求めようとするのは当然だと思えるよ。

で、飛行機なんかで取り入れられているのは、「fail safe」という思想。どんなに厳密にやっても、やっぱり壊れる時はあるし、人為的なミスもある。だから、もしもの問題が起きたときに備えて、致命的な機構には必ずバックアップを設けるという考え方です。重要な装置は必ず複数の系統を用意しておく。


って、これって、「無謬を求める」というのとはちょっと違う気がするよね。「無謬ではないことを認めて、間違いが起きた場合でも事故に至らないようにする。」というわけで。

人間の考えること、なかなか賢いよね。

September 02, 2010

「外圧」が懐かしい。

そういえば昔、「外圧」という言葉が日常的に使われていたような気がする。ニュースはいつも、「外圧」の話を伝えていた。そう、「外圧」は「gaiatsu」としてそのまま英語でも使われるくらい、みんなのお気に入りの単語だったよ。

とかく反応が鈍く、なかなか明確な政策を打ち出さない日本政府に対して「外圧」は有効な手段だったよね、特にアメリカにとっては。なんとかしろ、という圧力を外からかければ、日本はあたふたと対応していたように覚えてます。市場を開放しろ、関税を下げろ、もっと輸入しろ、陰に陽に外圧をかけて対応を求めた。まあ、そうでもしなきゃ、他所様の顔色ばっかり見てなかなか決断ができなかったからね、日本は。

そして、「外圧」はアメリカだけでなく、日本の政策担当当局にとっても便利な言葉だったよね。何らかの対応を取らなければ「外圧」に負けてしまいます、「外圧」を緩和するにはこの程度の妥協が必要です、という感じに使えば、政策の合理性や妥当性についてネチネチと吟味されることなく政策を通すことができたからね。


「外圧」が盛んに使われたのは、バブルの頃までだったかな。日本経済が最も勢いづき、世界の市場を席巻し、その勢いが故に世界中のあちこちで摩擦を引き起こし、「なんとかしろ」と文句を言われた。その「なんとかしろ」の文句が「外圧」だったのでしょう。

*   *   *

気がつくと、すっかり「外圧」なんていう単語を目にしなくなったね。しぼんじゃって年中病み上がり、もはや脅威でもなくなった日本に「外圧」なんてかける用事もなくなった、ていうことなんでしょうかね。それどころか、「もうちょっとがんばってください、あなたが風邪ばっかり引いてると、周りも困るんですよ。」と心配されるような状況だもんね。

「外圧」をかけられてばかりの頃は、「大変だなー」「うるせーなー」とイライラもしたし反発も感じたでしょうが、思えば、「外圧」をかけられるうちが華だったんでしょうね。

*   *   *

もうひとつ、国際経済の世界自体も変わったんだよね。国と国の二国間の通商関係ではなくて、市場経済が爆発的に拡大してる。「外圧」が見えなくなったのは、国際経済の「市場」、マーケットによる支配が強まったっっていうのもあるよ。変なことやってると、市場から警告を受け、場合によっては手痛いダメージを受けることもあるわけでさ。政治の世界はともかく、特に経済の分野においては、「外圧」は「市場の圧力」に置き換えられてしまった感があるなぁ。


「外圧」にノスタルジーを感じるほど、時が流れちゃった。

August 26, 2010

途上国共通の印象

実は南北アメリカ、オセアニアには行ったことないんですけど、割といろんな国に行っている方だと思います。旅行、仕事、あるいはストップオーバーなんかで、ざっと数えて30カ国くらい行ってるかな。

それでいつも思うのは、「途上国」共通の特徴ってなんだろうか、ということなんですよね。そりゃ、明らかに貧しければ途上国です。汚い池の水を汲んで飲料水にしてるとか、子どもが学校にも行かずゴミ箱漁ってるとか。そういう現象面の途上国ぶりを挙げるのは簡単なんですけど、気になるのは、どうしてそういう社会になっちゃうのか、何か共通のパターンがあるのだろうか、ということなんです。

何で、発展しないんだろう。

植民地支配時代からの歪んだ経済・社会構造が解消されない、自然環境が厳しい、政治が安定しない/腐敗している、競争力のある産業がない、そのどれも発展しない原因になりうる。

識字率が低い、衛生状態が悪い、食料難である、失業者が多い、医療機関がない。結果としてそんな状況に陥っており、その状況が世代を超えて受け継がれる悪循環を作っている。

どこで間違ったんだろう。

このブログでさらっとまとめられるような議論ではないし、このテーマだけで山ほど本や論文も出版されています。ただ、ただですね、途上国、先進国、まあその間の中進国を30カ国余り歩いてみて、発展していない国、あるいは少なからず豊かな人々がいても、どこか途上国風情から抜けきれない国には、なんとなく共通した印象があるように思うんですよね、私の主観に過ぎないかもしれないですけど。

「明日までにできます。」「こちらから後ほど電話をかけ直します。」「開会は午前9時です。」「これで問題ないはずです。」「たまたま今日は品切れです。」「不良品だったら交換します。」・・・この手の小さな約束が、およそ信用できないのが途上国っぽいと思うのです。全部、自分で責任を持って確認しないとうまくいかない。思い出してみると、ダメな国はみんなこんな感じだったような。できると言ったことができない、やると言ったことをやらない。どんなに見かけ上は豊かでも、曖昧な言葉なので使いたくはないんだけど「民度」が低いと、途上国っぽい印象が出てしまう。きっと彼ら彼女らはウソをつく気はないんでしょうけど、結果的に、日本人の私の常識からすればウソと同じことになってしまってます。もう、慣れましたけどね。

これが国が発展しない理由です、とは言えない。でも、国が発展しなかった結果こういう人間がいっぱいできました、とも言えない。要は、発展できない悪循環の輪の鎖の一部なので、理由でもあり、同時に結果でもあるんでしょう。

さて、とはいっても、何の答えにもなっていない。

どこで間違ったんだろう。何で発展しないんだろう。現に今、途上国である社会の特徴的な印象は共通なものがありますって言ったって、それは、はあそうですか、というだけの話であって、発展しない(あるいは少なくとも今までは発展していなかった)原因を説明したことにはならない。ましてや、解決策も提示できない。

まあね、明確な説明と、すっきりした回答がある問題ではないことは確か。強いて言えば構造の問題であり、システムの問題なんだよね。

少なくともじゃんじゃん援助をすれば解決するというような問題ではないよね。ひとりひとりの善意は大切だとは思うけど、篤志家の慈善活動もその成果は問題の全体像から見れば些細なものだったりする。

*   *   *

私個人としては、結局のところは、途上国の人々にも金儲けをしてもらうことしかない、と思うのです。小さくてもいいから、ビジネスを、経済活動を盛り上げるしかない。社会や個人の規律-decipline-もそこから生まれるんじゃないかと。国際援助も必要だけど、できることには限界があって、それだけでは問題が片付かないのは確かだと思うよ。

要は「経済」なんじゃないかと。

まあ、原因はそれだけではないし、「経済」のために援助も必要なんだけどね。「経済協力」なんて言葉もあるくらいでさ。

August 21, 2010

人間に限りなく近いヒューマノイド

古典的な話題。

人工知能はどこまで人間に近づけるか。ヒューマノイドは作れるのか。

どこまでハードウェアが精緻になっても、どこまで天才的なコードが組み込まれても、最終的には人間とは同じにならない。たとえ「経験」や「記憶」をデータとして準備してシステムに組み込んでも、人間だけが持つ、不合理なノイズのようなものが、人工的には再現できないコードのかすかなもつれのようなものが「意識」を生み出しており、完全な人間にはならない。

というのは、映画「攻殻機動隊」シリーズで押井守氏が提示しているモデル。その「人間にしかないノイズのようなもの」を、「ゴースト」と呼び、本当の人間の「ゴースト」をシステムに組み込むことをめぐる物語が展開される。「ゴースト」を得たシステムは意識を持ち、それがネットワークの中に息づくのかも、というお話。

いや、「ゴースト」なんて関係なくて、与えられた外部からの刺激に生身の人間が示す反応を悉く模倣するシステムがあったら、それはもはや人間とは区別がつかないではないか。それが意識を持つ持たないに関わらず、生身の人間が示す反応と同じ反応を示すのであれば、傍目にはそのシステムは人間とどう違うというのか。

というのは、映画「ブレードランナー」で登場する「レプリカント」呼ばれたヒューマノイドみたいな存在。機械なんだけど、究極まで人間を模倣するので、人間とレプリカントを区別するのは容易じゃない、という設定だった(ような気がする)。


思うに、高度に可塑性のある(たぶん有機的な)人工知能を備えたシステムがあって、それを実際に「育てて」みたら、本格的に人間に近い人工知能を作ることができるんじゃないだろうか。押井守氏の提案するような「ゴースト」を収容できるシステムで、かつそれに成長が可能であったら、そのシステムをあたかも子どものように育てていけば、完全な人工知能になり得るのではないか。だれかボランティアを募って、システムを養子にしてもらうの。そのシステムを収容するハードウェア—身体ーにどんな形を与えるのかも思案のしどころになるだろうけど、とにかく、赤ちゃんのシステムを普通の赤ちゃんと同じように扱って、何年もかけて育ててみたら、それはもう人間の意識と同じものを宿すかもしれない。

*   *   *

と、ここまでぼんやり夢想して、気付いた。外部刺激を記憶し経験を積むせること、そして成長させることが人間と遜色ないヒューマノイドを作る方法だとしたら、そのヒューマノイドは死を意識するのか?

もしかして、人間が人間であること、どこまで精緻に作られても機械であるところの人工知能と人間が同じでないことの根拠は、人間が有限の時間を意識していることなのではないだろうか?

スピルバーグの映画「A.I.」で登場する子ども型の愛玩ロボットは、いつまでも子どものままだったね。でも、経験を積み、記憶を増やしていくことができる。昔を思い出したり、懐かしんだりする「感情」を持つ。そんな愛玩ロボットは、長く可愛がっていたらどうなるんだろうか? あの映画では愛玩ロボットは8歳だか10歳だかの男の子の形状をしていたけど、そんなロボットを10年、20年と可愛がったらどうなるのだろうか。8歳の子どものくせに、20年の人生経験を持つ状態というのはあり得るのだろうか。あの映画では、愛玩ロボットは経験を積み、記憶を蓄えていくことができるように見えたけど、そうだとしたら、成長してしまうのではないか。大人になってしまうのではないか。経験を積み、記憶を蓄え、知識を得ていくのに成長しない、という設定が可能なのだろうか。残念ながら「A.I.」では、そんなところまで描いてはいなかったですね。

「銀河鉄道999」の主人公・鉄郎は、永遠の命を可能にする機械の体を手に入れるため銀河を旅する。しかし、機械の体をタダでくれる星に到着したところで、機械の体を手に入れることを止める決断する。生きていることは、有限の時間を意識すること、永遠の命を可能にする機械の体を手に入れてしまうと、それはもはや生きていることにはならないのではないか、と考えた(んじゃないかと思う。原作者の松本零士さんの考え、なわけだけど。)。

*   *   *

人間に限りなく近いヒューマノイドとは、成長し、いすれ死んでしまうシステム、という定義はどうだろうか。

しかし、これってなんだか「生きている」ということはどういうことか、という定義に近いよね。
要は、人間に限りなく近いヒューマノイドとは、人工の生き物、人工生命体である、と言ってるに近いな。

仏陀は、「生」「病」「老」「死」を誰も決して逃れることのできない四つの苦しみとして挙げた。命あるものが絶対に避けられない現実。ということは、逆に言えば、この四苦を逃れているものは、命がないものとも言える。

完全なヒューマノイドは、人工の生き物であるとすれば、このヒューマノイドは四苦を実感するのだろうか。


*   *   *

ぼやぼや考えるだけで、なんの結論も出ていないんだけど、人工知能の研究が認知科学や心理学、哲学と切り離せない関係にあるのは分かったよ。

August 15, 2010

社内英語化、やりたきゃやればいいんじゃないの?

ちょっと旬を過ぎた話題になりますけど、楽天やユニクロが社内の共通語を英語にすると決めたという話。三木谷・楽天社長は決算報告の会見を英語で行って注目を浴びたりしておられます。社内共通語を英語にするということについては賛否両論ですが、なんとなく反対派の人の声が大きいように見えます。どうなんでしょうか。

「能力があって英語が出来ない人と、能力がなくて英語が出来る人、英語化すると後者が優勢になって会社のためにならない。」
「能力があっても、苦手な英語では能力が十分に発揮できない。いつもアウェイで勝負するような不利な状況に置かれる。」
「顧客とは英語で仕事できない。佐川の配達員にも英語で対応するのか?」
「日本人同士で英語で話をしているのは滑稽だし、不気味だろう。」
「TOEICが基準点に達しないとクビなのか。それってひどすぎる。」

などなど。たしかに一理あるように思いますけれども、私は、どちらかというと「英語化?いいんじゃないの?」という感想を持っていますよ。だって、一企業の判断なんですもん。会社にとって、社内を英語化した方が商売がやりやすい、そちらの方が会社の成長にとって都合が良い、と判断されたということなので、だったらそうすればいいんじゃないですか?という、安易な考えなんですけれどもね。

楽天もユニクロも、グローバル展開を図っていくには世界各地に存在する(ことになる)事業所間で円滑なコミュニケーションが必要で、そのためには日本語を標準としていたのでは都合が良くない、と判断されたのでしょう。また、グローバル・マーケットに打って出るに際して、社員の英語力の不足を感じ、多少の無理を押してでも英語化を宣言した方がよいと思われたのでしょう。英語化による非効率の発生を天秤にかけても、やっぱり英語化した方がビジネス上の利点が多いと判断されたということで、周りがとやかく言うことでもないかなと思っています。

「能力があって英語が出来ない人と、能力がなくて英語が出来る人、英語化すると後者が優勢になって会社のためにならない。」って、その通りになってしまって会社の業績に影響がでるような事態になれば、それは経営判断としての英語化が間違っていたということになるだけです。

たしかに見回してみると、かつてのように海外事務所に日本から社員を赴任させ、本社の指示を仰ぎながら事業を展開する駐在員派遣型の海外事業展開は、今どきの国際市場では非効率が目に余るものになりつつある。中国市場でもインド市場でも、現地には優秀でグローバルな人材はたくさんおり、わざわざ日本人を送らなくても、現地の人材を採用した方がよほど効率的だと思う。現地の人の方が、現地の言葉、現地の商習慣にも通暁しているわけですし。海外生活が不慣れな日本人がオタオタしながらなんとか現地に順応し、それからやっと仕事に取り組みます、というのではなんとも遅いし、現地で雇った人には太刀打ちできないでしょう。現に、パナソニックは新規の採用の8割は外国人にする、ということになっているらしいし。

そういう国際的なビジネス環境になれば、社内の標準言語を英語にした方がいいかもね、という判断もありえるだろうなぁとも思いますよ。

公立学校や役所が英語を標準にするという話ではないのです。そんな話には断固反対ですよ、もちろん。十分な母国語の運用能力があっての外国語だし、言語は文化と一体のもので、それをおろそかにはできない。英語教育を小学校から義務化する、なんていう話も、考えなくてはいけないことがたくさんありそうで、「はいそうですか」とは賛成できないです。

ただ、グローバル市場で商売をする一企業の判断としての社内の英語化は、別の話。英語化が便利だと思えば、その便益が不便を上回るのであれば、そうすればいいじゃないって思うんです。

August 13, 2010

カガメ大統領の再選

「ホテル・ルワンダ」という映画があったの、覚えてます? 1994年、ルワンダのツチ族とフツ族(「族」という表現は差別的だという批判もあるようですが、言葉狩りをしても仕方ないのでそのままにしておきます)の対立が先鋭化して、フツ族によるツチ族の「民族浄化」が勃発、そんな中でフツ族のホテル支配人がツチ族の人々をなんとかして守ろうとした必死の行動を描いた映画です。実際に起こった悲惨な出来事なんですけど、「残酷でしょう?かわいそうでしょう?」っていう扇情的な演出を避けて、比較的さらっと描いたのが逆にリアルさを際立たせていた映画だったように覚えています。

日本ではメジャーな配給会社による上映がなく、あまり日の目を見ないままお蔵入りになりそうだったところだったのに、この映画はもっと広く公開されるべきだという市民運動、署名活動が拡大して、結果的にそれなりのヒット作になったという経緯も興味深かったですね。

そのルワンダなんですけど、第二次世界大戦後では最悪と言われた民族浄化からほんの15年しか経っていないのに、首都キガリはいまやアフリカでもっとも治安がよく、成長著しい注目の都市になってます。スタバを彷彿とさせるような清潔でシャレたカフェなんかも繁盛しているし、インターネットの普及率も高いなんていう話を聞きました。

その立役者がカガメ大統領。私がカガメ大統領がしゃべるのをちゃんとテレビでみたのでは、ユアン・マクレガーがアフリカ大陸をバイクで縦断するという番組でルワンダを通ったときに、妙に気さくにユアンの訪問を受け入れていた時でした。カガメ大統領はユアンを自宅に案内し、大統領がここまで私邸の中をテレビに映させてよいのかしらん?とか思ったの覚えてますよ。細身でひょろっとした体躯で、哲学者然とした語り口が好感を持てました。

民族浄化、国民同士が殺し合いをやった後の初代大統領ですから、悩みも深く、やることも多く、こういう思慮深い賢人宰相型の大統領がふさわしいんだろうなぁとも思った。

*   *   *

ルワンダの大統領の任期は7年。先週大統領選挙が実施され、カガメ大統領は93%の支持を集めて再選されました。まあ、普通に見てれば順当な結果だなと思います。

ただ、ですね。

選挙前から、あまり気持ちのよくないなニュースがぱらぱらと流れてきたのです。まず、カガメ大統領の対立候補で有力な人物は、ことごとく選挙に立てなくなっている。ある者は逮捕拘束され、ある者は被選挙権を停止され、またある者は暗殺されている。メディアの締め付けも厳しく、大統領与党の批判は事実上行えない状態になっているらしい。まあ、ジェノサイドからたった15年でここまで経済を回復させ、社会を安定させた功績は大きいので、批判しにくいカリスマになっているとは想像されますけど、それでも当局が批判を封じてしまっているという情報はちょっと気になる。

で、こないだBBCのインタビュー番組に出ていたカガメ政権の女性の外務大臣は、「ルワンダの悲惨な過去は、過去とはいえまだつい先頃の話で、こういう情勢では民主主義よりも国民の和解を優先せざるを得ない、そのためにある程度強権的な政権運営はやむを得ない」というったような趣旨の発言をしていたんですよね。事実上、反対派の弾圧を認める発言に聞こえた。

うーん。

アフリカをはじめ、世界の脆弱国家を見てみると、民主主義の実践が最前の解決策で、絶対的に正しいと断言できない実情があるのは、確かにそうなんですよね。特に、欧米の主張するように厳密に自由で公正な選挙に実施が絶対的に正しい、とは言い切れないところがある。現に、東南アジアは今でこそ繁栄を享受し、いろいろ不都合はありながらもとりあえず民主的な制度と認められる程度のことはやっているけど、ついこの前まではどこも開発独裁の国ばっかりだったわけです。国民の教育水準とか、経済水準とかがある程度の条件を満たさないと、自由選挙が社会の安定を逆に損なうことも多くて、スタートラインに立つまではある程度強引な政権運営が必要だったりする。

一種の哲人政治だと思うんですよね。Wikipediaによると、哲人政治とは「哲人王を統治者とする独裁政治体制の一種」とある。マルコスが、スハルトが、リー・クアンユーが、マハティールが「哲人王」であったかどうかは議論の分かれるところでしょうが、開発独裁は衆愚政治を避けるためのひとつの解決策であったともいえる。民主政治をやっても衆愚政治に陥らないところまできて、初めて自由で公正な選挙をやれるのかもしれない。哲人王というよりは、私欲のために国家を利用しただけの僭主だった支配者もあまたいるんですけど、開発独裁は過渡的体制として機能したことも確かだと思う。

カガメ大統領の哲学者然とした人物像と大統領第一期目は業績は、カガメ大統領を事実上の哲人王、少なくとも開発独裁と見なすに足るものなのだろうか。先週の大統領選挙は、カガメ大統領を哲人宰相と認証するための儀式だったのだろうか。

思い起こすのは、ジンバブエのムガベ大統領。30年前のジンバブエ独立は、人種差別政策をとってイギリスがら一方的に独立宣言をしていた南ローデシアのスミス政権を、ムガベ氏らが率いる愛国戦線が打倒して獲得したものなんですよね。独立後のジンバブエは人種差別の撤廃を打ち出し、現に当時の内閣には白人の大臣もいた(って、現在もジンバブエの教育大臣は白人なんですけど)。イギリスはムガベ氏の業績を高く評価し、「Sir」の称号まで送っている。

ところが30年後の今はどうか。1980年代の黄金時代はどこへやら、政権幹部は私利私欲に走り、経済は崩壊し、国際社会からは孤立し、民主的とはおよそ言えない選挙ばかりを繰り返し、白人・欧米を露骨に敵視し、英連邦からは脱退し、推しも推されぬ世界の問題児です。ムガベ氏だって哲人王かと思われた時代もあったのに、です。

対照的な南アフリカのマンデラ氏の例もある。高齢だったというのもあるのでしょうが、デクラーク政権で最後になった白人政権を清算して新・南アフリカの礎を築いたところの早い段階で後任を立て、民主的な選挙で後任の大統領が選ばれる環境を作った。いまや神格化されたマンデラ氏を批判することは御法度になっているし、哲人王のまま晩年を迎えていらっしゃる。(実際には縁故主義の問題もあったらしいんですけど、もはやだれもそんなこと口に出せないでしょうね。)

カガメ大統領はどういう道を進むのか。今のルワンダ経済の好調ぶりを見ていると、そう遠くないうちに西側諸国が標準的と認めうる民主主義の実践が可能なスタートラインに達するかもしれない。そのとき、カガメ大統領は自由で公正な普通選挙を実施できるのだろうか。

とりあえず、大統領二期目の任期の新しい7年が始まりました。今後の動きが気になります。

August 10, 2010

自己肯定感の根っこのところ

前回、「今どきの就活って憂鬱だね」っていうエントリを書いたのですが、それに関して思い出したこと2点。

今どきの就活って、人が人として生きていくための基本ともいうべき自己肯定感、社会に対する無条件の信頼感みたいなものをぶちこわしちゃう構造になってるんじゃないかっていう感想を書いていたんですけど、その仮説を補強するような話を思い出した。

ひとつは、孤児院の子どもたちの死亡率が、一般家庭の子どもたちのそれ比べて有意に高いっていう話です。どこで聞いた話なのか忘れたし、今から一次データを探す元気もないんですけど、ありえる話かもしれない、と考えてます。日本の孤児院だったら、特別に栄養状態が悪いとか、医療がまともに受けられないとか、そういう環境ではないはず。衣食住はちゃんとコト足りて、学校だってそれぞれの個性や能力に合ったところに行くくらいのことはできていると思うんです。私大の医学部に行きます、なんていうのは無理だろうけどね。

なのに、死亡率が高いらしい。確かその話を聞いたときに指摘されていたのは、子どもが風邪こじらせて肺炎になったりするとあっけなく死んでしまうような事例が、一般家庭よりも多く起きているということでした。医者にも診せてるし、投薬もしてるのに、なぜか孤児院の子どもの方が命を落としやすいそうで。

これもね、見返りを求めない親のからの愛を十分に受けなかったことが理由の一つじゃないかと思うんですよ。無条件に「自分はこの社会で受け入れられているんだ」と実感する機会が十分でなかった。自己肯定ができていなかった。それが生命力の差になってしまうんじゃないでしょうかね。

もうひとつ思い出した話。これもどこで聞いた話なのか忘れてしまってるんですが、だれかが「母親が亡くなってから、本当に自分の人生が始まった気がする」っていうのを言ってた(か、書いてた)。まだ両親が健在な私がこの話を「分かります」なんていうのは思い上がりだろうし、本当のところはそのときが来ないと実感できないんでしょうけど、それでも、そういうこともあるかもね、と思ったんですよ。

この世に生を受けてから接する最初の人、その先に広がる人間社会への最初の窓口となる人が、母親ですよね、普通。この人から無条件に愛されることで、子どもたちは生きていくことができる。社会が自分が生きていくことを肯定してくれている、それどころか、積極的に生かそうとしてくれる、という実感を、まずは母親から学んでいくのだと思うんです。自己の存在を確認するための、最初の他者が母親。
子どもは学校に入り、社会に出て行くにしたがって、自分の世界を広げていくんですけど、社会に対する信頼感の根っこは両親、特に母親にあると思うんですよ。

そして、その人が亡くなる。そのとき、自分は自分が切り拓いてきた世界と、それまでに培ってきた経験を以て、社会に対する信頼感を確立できているのか、自己の存在を肯定できるのか。足場を組んで建てた塔から、初めて足場を外すときのような危機感があるのだと思う。その塔は足場がなくてもスクッと立っていられるのか。「本当の自分の人生が始まった気がする」って、足場が外されて、まさに「自立」することが求められることなんでしょう。


就活の話から始まりましたが、最後はなんだかマザコンについての分析みたいな話になってしまいました。

August 07, 2010

今どきの就活って憂鬱だね。

このところ、新卒の就職率が悪いとか、就職活動が大変だとかいう記事がたくさん出てますね。そもそも新卒一括採用というシステムがもはや合理性を失っているのに、未だにそれが支配的な採用システムで、これじゃ日本企業の活力も無くなるし、若い人材は潰されていくし、大学ではまともな学究活動ができないし・・・というような話もよく聞く。内田樹先生の「日本の人事システムについて」とか、どこで読んだのか、山田昌宏先生のお話とか、いやあもう、まったくそうだと思いますよ。

私自身が新卒(っていうか院卒)で社会に出たのは1996年で、当時は大学3年、ひどい場合は2年の秋から就活はじめなきゃいけないというようなとんでもない状況にはまだ至ってなかったけど、「就職超氷河期」なんて呼ばれた時代で、それなりに厳しい時代だったし、結局今に至るまで、6回、7回も転職を重ねることになってしまってるので、今、就活をやっている学生の人たちのストレスも分かる気がする。

そう、内田先生のエントリにもあるように、査定される側に立たされて、なんの基準だか分からないところで査定されて、わからないところでダメ出しをされてしまうという構造にマイッてしまうんですよね。採用側はあたかも合理的な基準で(でも、明かされない基準で)査定しているように振る舞うので、採用される側は訳も分からぬまま「自己分析」だの「志望動機の充実」だのに走っちゃう。で、「ご縁がありませんでした」なんて言われることが続くと、自分は社会に役立つ人間ではないのではないか、社会に必要とされてないのではないかと、不安をつのらせ、精神的にマイってしまう。自信を失ってしまう。自分自身を認めることができなくなって、本当に社会に出れなくなってしまう。

しかも、多くの日本の会社は新卒の一括採用を続けているし、「新卒」のブランドは未だに絶大なので、大学卒業のそのときに就活に失敗してしまうと、もう、挽回不可能な感じで、なんだか人間的に否定されたようなダメージを受けてしまうんだよね。

*   *   *

ちょっと話はずれていくんだけど、人が社会でよく生きて行くためには、根本的なところで社会に対する信頼がないといけないんだろうと思うんです。自分はこの社会に受け入れられているんだ、この社会に生きる場所があるんだって、本能的に、無意識的に信じられることが大切なんじゃないかという気がしてる。

その最初のステップは、やはり両親の愛、家族の愛から始まる。使い古された陳腐な言葉ですけど、親から受ける「無償の愛」は、社会に対する信頼の始まりだと思う。子どもはまだ未熟だし、できないこともたくさんあるんだけど、親はそれでもかわいがって、世話をしてくれる。見返りを求めることなく、受け入れてくれる。子どもはそんなこと意識していないと思うけど、自分が生きて行くことを当たり前だと感じ、疑問をもたない。この段階で、社会に対する信頼、自分には生きていく場所がある、っていうことが精神の深いところに刻まれていくんだと思うんです。

やがて小学校に入学し、中学校に進む。子どもたちは自分の生きて行く社会を少しづつ広げていくわけです。いじめられたり、けんかしたりしながらも、少しづつ広がっていく社会の中で自分の居場所を模索していく。軋轢はあるけれども、自分の存在を確認しながら、自己を確立していくんですよね。

受験、なんて人から査定されるイベントもあるんだけど、これは、基準がはっきりしている。所詮、点数なんだから。そりゃ、点数取れる方がいいには決まってるんですけど、それだけが社会、世界じゃないことは明らかだし、ダメならダメで、別の道はいくらでもあるし、もっと勉強がんばる、なんていう対策もある。世界は広いし、生きていく場所はいくらでもある。

学歴社会を非難し、受験戦争は点数だけで判断するのがけしからんと非難し、内申点やらなんやらを取り上げて、「点数だけではなく、もっと総合的な能力や潜在力を見て合否を決めるべき」なんていう人がいるけど、もしそんな試験ができて(できっこないけど)、かつその試験に落ちちゃったらどうするわけ?人間失格なわけ? 結局、現場で起きたことは、内申点を上げるためだけのボランティア活動に忙しい、よい子ちゃん競争にいそしむ子どもたち、だったじゃん。そんなの、もっと病んでるよ。

あ、話が逸れた。

とにかく、社会に対する根源的な信頼、が、アイデンティティの確立の前提条件のように思うんですけど、今の日本の新卒の採用制度っていうのが、この「信頼」を崩すような働きをしているように見えるんです。学生に対し、「あなたは社会に必要とされていない」と宣告する仕組みを構成してしまってる。さっきの、点数だけでなく総合力を判定する受験、と似たような感じ。基準がよくわからないけど、よくわからないなりに努力を求められて、受かればいいけど、ダメなら人間失格かっていう気分にさせられてしまう。みんな「新卒」をありがたがるので、この機に内定もらえなければ失格、おしまい。強烈なストレスです。自己の存続にかかわるストレスになると思う。引きこもっても当然だって思うよ。

両親の愛、家族の愛を受けて育ち、学校という大人社会の予行演習を経て、やっと自分っていうものを培ってきて、さて、社会に出るぞっていうところで、一斉にふるいにかけて、「あなたは社会に必要とされていません」って宣告する。採用側にそんなつもりはなくても、まだまだ脆くて不安定な学生さんたちにとっては、そりゃ、アイデンティティの危機になってしまいますよ。

私の場合は、とりあえず社会に出てみて、おかしいな、こんなはずじゃないよな、って転職を繰り返したり、もう一回大学院に行ってみたりして、とりあえず自分自身の衣食住くらいは賄えるところまで来ました。幸運にも鬱病にかかることもなく、ホームレスにもならなかったし、生活保護も受けずに済んだ。でも、今のご時世は、そんなことやってると「非正規」から「ワーキンブプア」への深い穴に落ちちゃったりする恐怖もあるよね。そんな時代じゃなくてよかったと、正直、ちょっと安堵している自分もいます。

でも、やっぱりひとつだけ。

就活のただ中にいると、それが世界のすべてのように感じられるし、ちゃんとしたところに勤めないと体裁も悪いし親も心配する、っていうのもあるかもしれないけど、意外と世界はもっと広いんじゃないかな。息苦しい日本から逃げたっていいし、自分一人くらいなら養える道は「新卒でどっかの会社に入る」以外にもあるよ、きっと。

August 05, 2010

高品質な手摘みの綿花


新しいジーンズを一本欲しいなと思ってネットを散策していて、こんな感じかなと思ったのが、「FULLCOUNT」というブランドのやつ。 公式ページはflashを多用し過ぎていてゲンナリするんですけど、amazonで取り扱いの方を先に見つけたもので。

で、公式ページの方を見てみるとさ、

「FULLCOUNTのジーンズで使用しているのは、綿花の中でもハイクオリティーとして名高いジンバブエコットンを使用しています。」

「ジンバブエコットンはアフリカの大自然の恵を受け、じっくりと大きく育てられています。すくすくと育った綿花を完全に開ききったところでひとつひとつ手摘みし綿カスなどの不純物を取り除きながら収穫しています。」

これはこれは。

「・・・使用しているのは、・・・使用しています。」と、日本語的には正しくない文章で書かれているのが残念ですが、ジンバブエ産の綿花を使ってるんですねぇ。デザインはこんな感じがいいかな、と思って見てみたら、素材もそういうことですか。 これはお買い上げ決定でしょう。

って、防縮加工をしていないとか、履いているうちにフィットしてくるとか書いてあるんで、サイズを頼りに通販で買うのは危ないでしょう。店員に聞きながら試着して買いたい。幸い新宿伊勢丹とかで取り扱ってるみたいなので、次の一時帰国時に買うことにしましょう。

*   *   *

「ひとつひとつ手摘みし綿カスなどの不純物を取り除きながら収穫」というのは本当らしいんです。2、3ヶ月前にイランのアフマディネジャド大統領がジンバブエを来訪した時(世界の鼻つまみ者同士で仲良くしているのであります)、イランはジンバブエの綿花生産に投資するとか、綿花の輸入を拡大するとかなんとか、耳障りの良い話をばら撒いていったんですけど、そのときにジンバブエのムガベ大統領が「当国の綿花はひとつひとつ手で摘んでいて、高品質」と演説で自慢していたのを覚えてますよ。

でも、たぶん、高品質な綿花を生産しようと思って手摘みをしているんじゃないと思うんですよね。綿花は換金作物なので、かつては白人農場主が大々的に、商業的に生産してた。その頃は黒人労働者が低賃金だったはずなので、機械を入れるよりも手で摘ませた方が安かったのかもしれない・・・。

で、ご存知の方も多いと思いますが、ジンバブエ経済は2008年に、自国通貨が億とか兆とかの位のハイパーインフレを起こして崩壊。経済崩壊の発端は農業崩壊だったし、今やまともな農業を行えている農家はほとんどいなくなっちゃった。機械設備もほとんど使えなくなっちゃって、要は、今は手で摘むしか術がないのかもしれない・・・。

FULLCOUNTの言っていることはたしかにそうだろうと思うんですけど、「ハイクオリティーとして名高いジンバブエコットン」は意図してやってるんじゃなくて、結果的にそうなってるだけ、っていう気がするよ。

August 01, 2010

日本海呼称問題

なにか新しいことや、気の利いたことを言おうというのではなくて、こういう問題が議論されているの知ってる?ってだけの話です。

日本海呼称問題。

当然だと思われている「日本海」という海の名前、これを「東海」と呼ぶべきだという韓国の訴えがあるんです。韓国は1992年頃から国際社会にこの主張を問い始め、実際に各国の政府や地図出版社に働きかけを行ってます。なんでも、韓国側の主張によれば、「東海」という呼称は2000年前から使用されており、「日本海」という呼称は帝国主義時代の日本がその国力によって無理矢理強制した呼称であるから、「東海」に戻すべきだとのこと。

こういう話って愛国心を駆り立てるものなので、世界各地の公の場に掲示されている地図で「日本海」「Sea of Japan」と表記されていると、何者かが「東海」「East Sea」と上書きしていくという事件も報告されている。たぶん、そこを訪問した韓国人がやっているのだろうというのは容易に想像されますけどね。

で、実際に、「日本海」を「東海」と表記する地図が徐々に増えている。あるいは「日本海(東海)」とか「日本海・東海」といった表記も出てきている。

他方、日本政府側は世界中の主要な図書館の古地図や古文書を調べて、韓国側の主張に根拠がないことを訴えている。それによると、「日本海」という呼称が概ね定着したのは17世紀、18世紀とか、そのくらいらしい。っていうか、まともな古地図が世に登場したのがその頃、っていう気もするけどね。で、その前は特に決まった名前がなく、海に名前が書かれてない場合も多いみたい。しかし、古文書や古地図にあの朝鮮半島と日本列島の間の海に名前が表記されている場合は、ほぼ「日本海」。古くは「東洋海」(Oriental Sea)や「朝鮮海」(Sea of Korea)という表記もあったらしいけど、日本政府の調査によれば、どの時代にあっても「日本海」とする文献が大多数で、その他の呼称が使われている事例はわずか。ましてや「東海」という呼称はその中でもさらに稀な例で、事実上ほとんど使われたことがない呼称らしいです。

韓国側が「日本海」の呼称を嫌う感情も分かる気はする。帝国主義の日本に痛めつけられ、最後には併合され、民族の誇りを蹂躙された歴史がある。しかも、「恨」(ハン)を美徳とする国民性。その韓国の東に横たわる海が「日本海」というのは、たとえ戦後65年経ったとはいえ、心穏やかではいられない。わずかでも「東海」と呼ばれた事実があるのであれば、やはりこの海は「日本海」ではなくて「東海」であった、「日本海」という呼称は日本軍国主義の名残だと主張もしたくなるでしょう。

この日本海呼称問題、問題が他の領土問題と比べて様相が異なる点があります。当たり前ですが、日本、韓国、双方とも領有権を主張しているわけではない。日本海は国際法上の公海、どの国にも所属しない海なんですよね。公海の呼び名を争うという事例は他に例がない。

世界各国、領土問題を抱えている国はいくらでもあって、各国は領土問題を解決することはできていないけど、領土問題がどういう問題で、どういう風に扱うべきかということには、それなりに慣れている。「ああ、2カ国、3カ国が領有権を争ってるのね、歴史的経緯はどうだったのかな。民族的、文化的帰属はどっちにあるのかな。でも、A国の主張を認めたら、我が国が抱えている別の領土問題での主張と矛盾するな。B国は我が国の友好国だし、ここで主張を認めておけば恩が売れるかな。云々。」って感じで外交ゲームが日々行われているけど、公海の名前を争うっていうのは例がない。

例えて言えば、パキスタンがインド洋を「インド洋」と呼ぶのはけしからん、あそこは「南海洋」である、と主張するのと同じ状況なわけです。日本側は、一国の国内的事情で公海の名前を変えさせようとする挑戦が認められるとすれば、そういうことも起こりうる、として国際社会に訴えている。また、国際海洋交通、国際航空交通上の混乱も無視できないとも訴えている。

しかし、各国の地図出版社や放送局などの中には、韓国の主張に「そうなのかなぁ」と納得して「東海」の表記を載せるところが若干づつだけれども増えているらしい。


別に私は嫌韓でもないし、隣国同士で仲良くやっていけばいいじゃん、って思ってますけど、両国間には竹島問題や歴史教科書問題に加えて、こういう問題もあるんですよね、っていう話です。